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ぶーぶーの雑記帳

日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。

ゴールデンウィークのお役立ち情報をまとめておくよってハナシ。

アローラ!どうも私だよ!!


最近、サボってたな?と思った方ごめんなさい!
記事をいくつか編集中で溜めてしまってます。

コツコツとやってくのでお許し下さいね!!

 

【近況報告】

そういえば私、久しぶりにAmazonでお買い物しました。

www.amazon.co.jp

 

うん、アホでしょう。とりあえず見た目に惚れて買ったのです。

用途は定まってませんので、用途募集してます。

 まぁくだらん前置きはどうでもいいのです。


ゴールデンウィークのお役立ち情報なのだ!

というわけで!いちき串木野市ゴールデンウィーク!!

お役立ち情報だよ~!!!いぇいいぇーい!(ハイテンション)
なんでここで書くのかというと、後で記事にするときの備忘録です。

ただ、それだけです。

 

ゴールデンウィークのイベント

今のところで私で把握しているのは以下です。

(詳細は下のリンクなどで確認してね!)

 

3日    :ハンドメイド展 BOS(金山蔵)

www.hamadasyuzou.co.jp

 

3日~4日:冠嶽園開園25周年祭(冠岳)

いちき串木野市総合観光案内所HP

 

4日~5日:かぶと祭り(まぐろの館)

※以下のチラシデータをご確認下さい(リンク先が見つかりませんでした)

f:id:bu-bu-karon:20170428202601j:plain

 

~7日まで 薩摩藩英国留学生記念館 小中学生観覧無料!
さらに陣羽織・陣笠の撮影チャンス!

 

 さらに!アイスクリームも販売中!!

 テイクアウトも出来るのだ!!

また記念館の向かいの「うんのもん」ではちりめんが特売らしい!
(店長さんがガンプラと一緒に投稿してらっしゃいました)

 

ひとまず。

とりあえず出来る限りの情報収集に努めたのですが・・・ごめんなさい!!
これ多分に絶対に漏れがあると思います。

 

そして!何より!!!!
明日から2日間!!!

まぐろフェスティバルが開催!!

 

これについては以前も記事に書いたのでそちらも御覧ください!

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

とりあえず3日も4日も5日も!

いちき串木野市ではイベントが開催されているので!

ゴールデンウィークも「いちき串木野」で楽しめるってコトですよ!!

(ア~ヤッパリ イベント数ニッポンイチナノデハ・・・)

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

また詳細や追加がありましたら、こちらにも追記していきたいと思います。

尚、事務連絡ですがこのあたりをまとめた情報については5月1日に某所できちんと正式に記載致しますのでご了承下さい。

(アレ?これ、誰に言ってるんだろうね?)

 

ってな訳で今日はこのへんで!

ばいば~い!バイツァ・ダスト!!!!

 

お仕事の備忘録を残すよって話。

仕事の話しを書きます。

HPの運営関係をやっているのですが専任者ではないので
わりとよく、しょっちゅうにヌケがある。
(そもそもシフトで休みの日に頼まれようものならどうしようもない)

 

そこで出てきた課題(命令)が一つ。

「みんな出来るようにすればいいんじゃね?」

おお、なるほどそう来たか・・・。

出来なくはない、うーん出来なくはないと思うんだけどね。

 

さて、どうしたものかということで今日は頭の体操がてら記事にします。

(備忘録的なやつですね)

 

現状について

うちの職場はWordpressでもなくconcreteでもなく、

なぜかMovabletypeを使っている。何故なんだろう。

きっと制作した時期かしら? その頃はWordpressも安定してなかったのか、いやうーんよく分からんな。

www.plusdesign.co.jp

 

上を見たけど、イマイチよく分からない。

まぁきっと色々な事情があるんだろう、そうだろう。

 

www.akibare-hp.jp

 

(ここに書いていることを鵜呑みにさせて戴くとすれば・・・もしや専門的なナントヤラ~で高く付いているのかしら・・・・)

 

まぁそんなことはさておいて。

 

こんな僕が一番WEB関係に詳しい立場だというのですからね。ウチの職場のスキル的なものはまぁ押して図るべし・・・です。でも全くパソコン操作が出来ないわけじゃない。だから、まぁ簡単なHTMLタグを覚えれば出来るんじゃない?ってとこなんですが今更それを覚えて動かすというのもアレですし、実際のところ画像貼ったりした後にフォントサイズなどがリセットされたりするとか微妙なモロモロもありますし。

習うより慣れろ、Go! for BREAK!の理論で大惨事になられても困りますし、むしろ他のメンバーもテンヤワンヤでバッタバッタ~ですからね。

 

いけんしょーもなかで、どげんかせんといかん。です。

 

 

どうすっかねって話。

 

どうすっかなぁーと考えて、やっぱり頼りになるのはOK!

グーグル先生ですよね。

 

で、やっぱり専門知識もないし、専門知識満載の記事を見ても分からない。そうなると「簡単に書いてあるサイト」を探さないといけません。こういう時にオススメな検索方法は「アホみたいな検索単語で調べる」ことです。イロハ系のサイトやリンク集が検索に出てくるのでめっちゃ便利ですよ。

 

今回は「ブログ 投稿簡単にする」とかいうクソほどバカ丸出し単語で検索しました。

そうすると出てくる出てくる。そこから使えそうなサービス名と上のMovable typeをセットで検索をかけました。それで出てきたのが「Windows live writer」ってモノでした。どうやら今はオープンソース化して「open live writer」なるものになってるようで、これだとwin10でも動くそうですね。なーるほど。なーるほど。

 

Movable Type 4 ドキュメント - CMSプラットフォーム Movable Type -

 

これだとワード、エクセルみたいな見た目だし、ウチのおっちゃんやおばちゃまたちでも十分に操作が出来そうね。最悪のケースでは記事アップだけしてもらって僕がちゃちゃっと修正するのも出来そうだし!(日本語化できてないってーのが厄介だがなぁ)

 

toumaswitch.com

 

という訳でこれを保守管理とかモロモロしてくれてる業者さんに相談してみることにします。うーん、導入費用どれくらいかかるかしら、それとも出来ないのかしら。

 

no-ma-hi.cocolog-nifty.com

 

うーん、相談だなぁ。そして勝手にやるとすっとややこしいし。

これはまぁ本当に相談だなぁ。

 

という訳で、またどうにかするしかねぇべな~。

 

で、なんでこんなん書いたかというと。

その件の保守管理のオニータンが電話に出ないのです。

忘れそうだし、経緯も含めて備忘録ってことでした。

耳をすませばを見るたびに仄かな初恋を想い出すって話。

前回に引き続き、この話もフィクションです。
いや、前回も言ったけど書いてあるのは殆ど本当のこと。

ただ僕の中での記憶が曖昧で危うかったり、微妙に内容を変えて書いているので、あくまでもフィクションということで読んでいただければと思います。

 

ちなみに前回の記事はこちらです。

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

今回もタイトル詐欺です

「てめぇの初恋は何回あるんだよ!」

なーんて怒鳴られそうですが、ほら定義がね?

 

今回は僕が初めてお付き合い(?)をした話です。

小学校1年生の頃のお話です。

前回の子に出会うよりも前の話しだし、そもそもそんな子どもが「付き合う」ところで、少し周りよりも仲が良かったってレベルのことです。

前回の記事を書いたときに、はたと思い出したので忘れないうちに書いていきます。

 

耳をすませば」って名作映画だよね

知らない人なんてそうそういないでしょう。

スタジオジブリの映画はどれも名作だし、認知度凄いですものね。

一応、wikipedia先生を下に貼っておきます。

耳をすませば - Wikipedia

 

まぁ、基本的には微笑ましい青春恋愛映画です。

映像美や内容も併せて、見たあとに心がジーンとする映画ですね。

聖司くんがストーカー?破局?知らんなぁ~?  

 

ともあれ、僕がこの映画を知ったのは小学校1年生の時にある女の子と交わした交換日記がきっかけでした。

 

当時の私の思い出ぽろぽろ

そろそろぶん殴られそうなことを覚悟しながら、当時の記憶を掘り返していきます。

小学校1年生の僕は、ただの少し小賢しいクソガキでした。

学校の成績は勿論良かったし、今じゃクソほどに下手くそな「絵」も周囲のレベルの低さのおかげで県の美術コンクールで入賞するくらいにはセンスもありました。

(キリンの上に自分が載っているクソみたいな絵だったけどね)

脚もそこそこに早かったし、習っていた水泳のおかげで運動も出来ました。

そこそこに文武両道だったと思います。

 

そんな僕はクラスの中でも目立つ方でした。

顔立ちも昔は可愛げがあったので、そこそこにモテてたんだと思います。

 

そんな1年生の冬の始めのころでした。

 

当時、仲の良かった女の子グループ(カーストTOP)の子から、呼び出しを受けたのです。まぁ僕は少し期待していたのでしょう、ウキウキしてました。

小学校の頃とはいえ、クラスのカーストTOPのグループは可愛い子ばかりでしたからね、これは告白の一つあるだろうなくらいに思っていたんです。

 

指定された場所は靴箱のあった勝手口の前。ちょうど倉庫があって、その裏でした。そこは所謂、「体育館裏」くらいのもので僕の通っていた小学校の中では告白や喧嘩のメッカでした。

 

放課後。

僕がそこに行くと、カーストTOPの女の子であるYちゃん、そしてその傍らには普段はYちゃんとあまり仲良くしていないAちゃんが一緒にいました。

 

僕は咄嗟にこれを見て、罰ゲームか何かだなと思いました。

 

当時、僕らの学校ではローカルCMのネタで

「好きです、かすた◯ん」

という嘘告白のいたずらが流行っていたんです。

この悪習は何だかんだ小学校6年生くらいまで流行っていたし、僕らの±5歳くらいは皆やっていたクソのような罰ゲームでした。

 

今回の呼び出しは、Aちゃんに告白(かすたDON)させるイタズラか~と思ってました。「さて、どんなパターンでくるのか」と。はたまたどう返してやろうかと色々頭を悩ませました。

話しを切り出してきたのはYちゃんでした。

「Aちゃんから話しがあるって。」

 

なるほど、そう来たか。イタズラとすれば、これはもうAちゃんはやるしかない訳ですよ。Yちゃんは退路を塞いだわけですからね。

これはもう数分しないうちに

「好きです・・・・・(数秒後)かすたDON」が来るわけです。

 

しかし、待てど暮らせどなかなかAちゃんはそれを言いません。

もじもじとYちゃんの後ろで恥ずかしそうにしています。

 

その状況にYちゃんも心なしかイライラしているようでした。イライラしているのは勿論、僕もです。僕も早く帰ってゲームがしたいし、友達と遊びたいのですから。

 

「なんなのさ!早く言ってよ~」

少しおちゃらけた感じで僕は急かしてみました。

それでもAちゃんは「かすたDON」をやってきません。

 

しびれを切らしたのでしょうか。

言葉を発したのはYちゃんの方でした。

 

「あのね、Aちゃんがあんたと交換日記したいんだって」

 

交換日記?なんだって?

Aちゃんが恥ずかしそうに一冊のノートを渡してきました。

 

めくろうとすると、ようやくにAちゃんは声を発しました。

 

「帰ってから見て!」

 

喋れるんかい・・・と突っ込みたいのも山々でしたが、あまりの剣幕に少々気圧されてしまって「あ、ハイ」ってなってしまいました。

そして僕はそのノートをランドセルに放り込み、よく分からないままに結局のところ帰路につきました。

 

交換日記だなんてオトナだよね

 

家に帰ると、念願のゲームを始めました。交換日記のことはすっかり忘れてしまっていました。どんだけ僕はゲームがしたかったんでしょうかね。ようやく夕飯時になって父と母と家族団らんの時間になって定番の文句である「今日、学校どうだった?」と言われるまですっかり忘れていたのです。

 

「ああ、そういえばAちゃんから交換日記しようって言われた」

「Aちゃんって、〇〇さんのとこの?」

「うん」

「あんた、ませたことするわね・・・」

「そうなの?」

「いつもの日記みたいにずっされた字で書きなさんなよ(方言混じり)」

「うーん・・・わかった」

 

親は特にしつこく聞いてくることはありませんでした。根掘り葉掘り聞かれることはありませんでしたが、結構に気になってたんでしょうね。

僕が交換日記の返事を書くタイミングまで、なかなかリビングから移動しなくて厄介だったのを覚えています。

具体的には「ゲームを再開しよう」としたら、中断させられて「返事を書かなきゃだがね!」と叱られました。なんだか理不尽だなぁと思いました。

 

肝心の交換日記に内容ですが、よく覚えていません。

ただ「交換日記をしてくれてありがとう」とか「私の好きなものはどーのこーの」でした。内容的には当時、クラスのカースト上位の女の子がやっていた「プロ帳」となんら変わりがないものだった気がします。

※こんなやつ。みんなもやってたんじゃないか?

f:id:bu-bu-karon:20170411143901g:plain

 

とりあえず僕も「よろしくお願いします」とか好きなものについて書きました。嫌いな食べ物のところには「やさい・くだもの」と書きました。これは今でも変わりません。

 

翌日、学校に行く通学路でYちゃんに話しかけられました。

「ねぇ!書いたの?持ってきた?交換日記!」

Yちゃんは本当に賑やかな子でした。ニヤニヤしながら聞いてきます。

僕にはそのニヤニヤの理由が良く分かっていませんでした。

というか、「交換日記をする」→「好意がある」ということすら理解してませんでした。これが後々、響いてきます。

 

僕は「持ってきたこと」「読んだこと」「書いたこと」その3つを淡々と言ってYちゃんを黙らせることに成功しました。そして、その日の昼休みにAちゃんに交換日記を渡そうとしました。

 

周りにワルガキどもがいる五月蝿い教室の中で

 

また、Aちゃんに怒られました。

そして何処から出てきたのかよくわからないYちゃんにも怒られました。

 

「こういうのは、あんまり人のいないとこでわたすんだよ」

「じょーしきだよ!じょーしき!」

 

つくづく面倒くさいなと思いました。

 

それから、しばらくは放課後や朝の時間などにコソコソと交換日記を回す日々が続きました。内容も特になんてことはない「夜ご飯はなんだった」「習い事をしている」とかそんなプロフィール帳に書くような内容ばかりでした。

正直、僕は「面倒くさいな」と思っていました。

僕はある日、親に「面倒くさい」ということを相談しました。

親は色々と思う所があったのでしょうが、「いいじゃない、字の練習にもなるし、友だちを作るのは大切なことよ」と諭してきました。

 

それから2週間ほどでしょうか。

何度か交換する中で、僕の字はだんだん雑になってきました。

ある日、Aちゃんに「読めない」と言われました。

(この頃にはAちゃんもだいぶ普通に話してくれるようになってました。)

 

内心、「読めるように頑張れや」とも思いましたが・・・。

 

その夜、晩ごはんの「今日何があった?」トークでそのことを話した僕は母親に怒られました。父親は特に何も言わぬままでした。

よくわからないまま、その晩だけは、僕は普段の学校の日記帳の何倍か綺麗に書くようにしました。

ある日、親が言っていた「交換日記とはオトナねぇ」というセリフを思い出して、「大人って面倒くさいだな」と子どもながらに思っていました。

 

2月が最後になるんだってさ

一ヶ月くらい経った頃でしょうか、僕とAちゃんの交換日記はものの見事にバレました。さすがは小学校1年生、幼稚園に毛が生えた民度です。周りから「ひゅーひゅー」とからかわれはじめました。

 

Aちゃんが。

 

僕はそのワルガキと仲が良かったからか、はたまたカースト上位特権だったのか、さして弄られませんでした。むしろ、「どうなの?」と聞かれるくらいのもので僕も無碍にせず、淡々と返していました。

 結果は見えています。カースト上位のYちゃんがそいつらに対してブチ切れたことで、あっさりと騒動は沈下しました。

 

やはり女は強いのです。

 

そんなある日、交換日記の中である映画とある歌の歌詞が書かれていました。

およそ、いつもの2倍近いページ数で書かれていました。

 

それが「耳をすませば」という映画と「カントリーロード」でした。

中にはAちゃんのレビューと「一緒に見たいね」とかいう内容が書いてありました。しかし映画だなんて当時の僕には退屈でした。クレヨンしんちゃんの映画でさえ、途中で寝落ちするくらいには映画が苦手でしたから。まして映画をみるための「映画館」という施設が「子どもだけじゃ行ってはいけない所」というイメージがあったので、それもあって僕は返事に困りました。

 

とりあえず「文面が浮かばないから待って」と翌日Aちゃんには伝えて、ようやくに3日くらいしてから親に「耳をすませば」って映画を見たいという話しをしました。

親は「あんたが見るの?」と驚いた顔をしていましたが、その後で父親がしれっとビデオ(VHS)をレンタルしてきてくれました。

 

そして見たのですが内容がチンプンカンプン。

子どもには難しすぎました。

「Aちゃんって大人だね」って親に言ったのを覚えています。

本当にそれくらい、よくわからない作品でした。

ただ見終わったあとに何とも言えない感情で泣きました。

そして、とにかく泣いたということと感想を一生懸命に交換日記に書いて、翌日にAちゃんに渡しました。

 

Aちゃんの返事は「見てくれて嬉しい!」ということがハートマーク付でご丁寧に書いてありました。そして、「私はあの歌が好きだ」ということと、おそらく最後になるから見に来て欲しい、といった内容で書かれたバレェの発表会のチケットが入っていました。

 

「なにが最後なんだろう?」と疑問に思いながら、親に返事の内容を話して、そのチケットを渡しました。「あら、行かないとだね」と親が言いました。

発表会の日は3週間後の、3月の最初の頃でした。

 

とりあえず、行くことをAちゃんに僕は伝えました。

(正直、面倒くさい反面、少し楽しみでもあった)

 

そして、そのやり取りがあって一週間も経たない頃。

 

Aちゃんが転校することをYちゃんから聞かされました。

 

寝耳に水でした。

そして、その日、Aちゃんからの交換日記にも同じことが書いてありました。

どうやらAちゃんは親の仕事の関係で2月の始めには転校してしまうようでした。

 

僕は少し寂しさを感じていました。

 

「こうかんにっき」の行方

そこからはあっという間でした。学校ではAちゃんのお別れ会が開かれることになりました。僕は周りのススメもあって、YちゃんとAちゃんのお別れ会を仕切ることになりました。Aちゃんは準備の関係もあったからでしょうか、学校に来る機会も少し減りました。交換日記も自然と止まってしまっていました。

 

小学校のお別れ会ではみんなでドッジボールをしたり、歌を一緒に歌ったりすることになっていました。いつもどおり、僕たちはドッジボールをすることに決めました。そして「歌」を決めるとき、「何を歌うか」が議題になりました。

 

「やっぱりカントリー・ロードじゃない?」

 

ああ、なるほど。好きだって言っていたものね。

僕も同意見でした。少し小学生が歌うには難しいんじゃないか?という先生の意見もありましたが、なんとか二人でこの意見を通しました。

 

さて、「みんなで歌う」ためには「みんなが歌えるようにする」ということが重要でした。僕たちの周りには「耳をすませば」を見ている子は少なかったのです。

幸いにもYちゃんがピアノを弾けたことで、何度か練習をすることが出来ました。

僕も家に帰っては、歌えるように歌詞を覚えるように、練習をしました。

 

ひとりぼっち。

恐れずに生きようと夢見てた。

寂しさ押し込めて、強い自分を守っていこう。

 

カントリーロード

明日はいつもの僕さ

帰りたい、帰れない

さよなら、カントリーロード

 

いくら馬鹿な僕にだって考えてしまうことはありました。

 

ただ、今となっては。

もしかしたら交換日記の話しが出た時点で、

彼女はもしかしたら転校することが決まっていたんじゃないのか。

この歌や映画に彼女が何か「重ねていた」のではないか。

とか考えることも出来るのですが、当時の僕は未熟でした。

 

ただ、最後の「さよなら」のところを歌うとき、心が苦しくなってしまっていたことだけがはっきりと記憶に残っています。

 

そして迎えた、お別れ会。

この描写は省略します。

 

ただ僕は涙を流すのを必死に耐えて歌いきりました。

Aちゃんは泣いていました。Yちゃんも泣いていました。

 

みんなからプレゼントが手渡されていきます。

手紙や、折り紙や、よくわからないものとか。

 

この時、実は交換日記は僕の手元にあったのです。

ずっと交換日記を止めていたのは結局、僕でした。

 

Aちゃんは引越が決まったという話のあとに

ひとこと、「好きでした」という言葉を添えていたのです。

 

僕はそのせいで返せずにいました。

どう返せばいいか分からなかったし、親にも言えずじまいでした。

 

だから、僕は迷いに迷って。

 

「僕も好きです。向こうでもがんばってね、応援している。」

といったような内容を書いた交換日記を手渡しました。

 

数日後、僕は親に連れられて、

親に持たされた花束を持って、彼女のバレェの発表会に行きました。

演目は確か「くるみ割り人形」だったと思います。

終わった後に彼女に花束を渡しました。

Aちゃんは衣装のせいか、大人に見えました。

Aちゃんはとても綺麗でした。

そして清々しい表情で、どこかスッキリしていました。

女は強いのです。

 

 

そして彼女は転校していきました。

 

2月14日。僕が放課後に帰ってくると大きな箱が届いていました。

送り主はAちゃんでした。中にはとても大きなチョコレートで出来たクマが鎮座していました。どうやらバレンタインだったようですね。

先にも後にも、僕はこれほど大きなチョコレートをもらったことはありません。

中には手紙もありました。

もちろん読んだし、それを読んで泣いたことも覚えていますが、どんな内容が書いてあったのかはイマイチ覚えていません。

「楽しかった」「嬉しかった」というようなことばかり書いてあった気がします。

 

僕も一ヶ月後、お返しを送りました。

もちろん、その手紙の返事も添えて

ただ、一つだけ謝ったことがありました。

 

「気付けなくて、返事が遅くなって、ごめんね」

 

もっと僕が女心をわかっていれば、もっと彼女は楽しい毎日だったのかもしれないなと思うと少し悔しかったのが本心でした。

ちょうどその少し前に、僕はYちゃんに少し叱られていたのです。

実は僕が彼女の好意に気付いていないせいで、YちゃんにAちゃんは相談していたようでした。どうやら仲が深まっていれば何処かに遊びに行く計画もあったようです。

 

どうあれ、その手紙はカタチを変えた交換日記のような気分になりました。

 

 

そして月日が経ち。

いつのまにか、連絡も途絶えました。

 

中学校の時に部屋の片付けをしていて当時に貰った年賀状をみつけました。

「交換日記ありがとう」とそこにも書いてありました。

そして僕は何年ぶりかに彼女に年賀状を送ってみました。

(何でそんなことしたのかというと気まぐれなんですけどね。)

 

彼女はちゃんと覚えていてくれたし、交換日記も持っていてくれたようでした。

向こうでも楽しくやっていたようでした。

僕は勝手に「向こうで何かあったら・・・」とか考えていたので、ようやくに安心することが出来ました。敢えて、それだけでした。

今もずっと、そこから連絡は取っていません。

 

ただ、今でも「耳をすませば」を見ると思い出します。

 

 

オカルト小噺。

子供の頃の記憶というのは、歳をとればとるほど、実に曖昧になってくる。

幼稚園生の頃に見た、変な黒い影だって。

小学校の頃に遊んだ、名前も思い出せないような友達のことだって。

何だって曖昧になってくる。

挙句の果てには、不確かな記憶が混ざりあって、気持ちの悪い記憶に書き換えられてしまうことも多々ある。

それが、夢の中のことなのか、僕の妄想だったのか、本で読んだ話が混ざってしまっているのか、今でははっきりとしない。

 

今日はそんな昔の曖昧な話をする。

 

小学校の頃、私は地元の中でも1、2位を争う都会に住んでいた。いわゆる地方都市のシティボーイだった訳だ。昔はお城の城下町としても栄えていたらしいその町には偉人の銅像や歴史を感じる建物など数多く残っていた。

都会ならではの新しさの中に、昔ながらの町並みが交差するような町だった。

僕の記憶が確かであれば、老舗の地元百貨店にいた時のこと。その地元百貨店は旧館と新館から成る7階建てで、いくつかのフロアには連絡通路で行き来できるようになっていた。

 

その百貨店の歴史は古く、特に旧館の従業員用の通路などは剥き出しになったパイプが天井に張り巡らされていて不気味であった。

そのせいであろうか、はたまた色々な怖い噂を聞いたからであろうか、子供の僕にはその百貨店は気味が悪く、あまり行きたくない場所の一つであった。

 

その噂というのも様々で「子供の売り買いをするイベントがある」「右側のエレベーターには何故か2人エレベーターガールが乗っている」「エレベーターを降りる時に外を見ていると、飛び降り自殺の霊が見える」「屋上遊園地には死んだ子供の例がいる」など、どれもどこかで聞いたことのあるような都市伝説から派生したようなものばかりであった。

 

そんな百貨店の中に「中3階」という、妙なフロアがあるのだ。そのフロアは階段の表示では四階になっていた。「その階段の表示が普段と違う時に鏡を見ると、異世界に連れていかれる。」という噂があった。

 

小学校1年生の夏、ちょうどその「中3階」に親に連れていかれた。確かちょうどそこで御中元の催しを行っていた。

もちろん子どもの僕が興味があるわけもなく、暇を持て余していた。

「まだなの?帰りたい」と駄々をこねる僕に呆れたのだろうか、親は僕に何枚か100円玉を渡して、暇潰しをしてくるように言った。

 

小銭を手に握り、僕が向かったのは4階のおもちゃ売り場だった。別に何か買えるわけでもないほどの小銭だが、メダルゲームに興じたり、ポップコーンを買えるくらいには余裕がある。

僕はウキウキしながら、4階に向かった。

 

4階に昇るエスカレーターに乗ると、上のフロアからサルや犬の音の鳴るぬいぐるみが騒がしい出迎えをしてくれる。4階に着くと僕はゲーム、模型コーナーの順番に見ていくのが定番コースだ。もちろん手持ちのお金では買うことが出来ないが、後から強請ってやろうという浅はかな算段があったのだ。

ある程度、強請るものの目星をつけた僕はメダルゲームをはじめた。軽快な電子音声が響く。ここにはジャンケンのゲームをはじめ、色んな種類のメダルゲームがある。その中でも僕が得意としていたのが忍者が点数のついた的に手裏剣を投げるゲームだ。しかし、その日は調子が非常に悪かった。じりじりとメダルが減っていく。

「今日はダメな日だなぁ」

このままでは不味い、そう思った僕は別な台で遊ぶことにした。しかし、どれも、上手くいかない。あれよあれよ、という内に追い銭をしていくと、持たされた小銭を全て使い果たしてしまった。

時計を見る限り、時間は余り経っていない。まだ親との約束までは時間がある。

 

「なにしてるの?」

 

話しかけられた方向の先には僕と同い年か、ちょっと年上くらいであろう男の子がいた。

 

「迷子なの?」

「いや違うよ。お母さんを待ってるんだ」

「そうなんだ、まだかかるの?」

「どうかな、わからないや」

「そうなんだ・・・」

「せっかくだし、探検してみない?」

「いいね!そうしよう!そうしよう!」

 

僕は階段のある方向を目指した。

目指すのは噂の階段の真意を見極めるためだ。

階段の横には各階毎にトイレがある。

「仮に噂が本当だったとしたら、トイレはないかもしれないよね」という彼の発言から先に2人でトイレにいくことにした。

今考えてみれば子供ならではの発想だ。

 

ここのトイレは古くて薄暗い。

だから、あまり使うことは避けていた。

電気のスイッチをつけて、用を足す。

 

ガチャン

 

「え?」

 

不意に後ろから鳴った金属音に思わず、身構えてしまう。

 

「あら、坊や、ひとり?」

 

後ろを振り返ると、全身緑色の衣服にマスクをつけた不審な老婆がそこにはいた。

なぜ?なぜ、男子トイレに老婆がいる?

そして、こんなに暗いトイレに電気もつけずにいるんだ?

頭の中が疑念と恐怖心で溢れる。

 

「いえ、ひとりじゃないです」

「ひとりじゃないの、どうみても」

「いえ、おかあさんときてます」

「じゃあ、おかあさんはどこ?」

 

やばい。何としても逃げなければならない。

アイコンタクトを送ろうと彼の方を見る。

 

「・・・・あれ?」

 

さっきまで隣にいたはずの彼がいないのだ。まさか先に逃げたというのだろうか。

 

よくよく見てみると老婆の手には大きな真っ黒いゴミ袋と銀色の何かが握られているではないか。

 

そうか、こいつは人攫いなのだ。

こうやって攫った子供を人身売買しているに違いない。きっと彼も、この老婆に捕まってゴミ袋に入れられたのかも知れない。

ヤバい。早くこの場を離れよう。

階段を使って、中3階に行って親に合流しなければならない。

 

僕は勢いよく走り出し、トイレのドアをあけて階段へと向かった。

 

「どこにいくの!!」

 

階段に老婆の声が響く。

怖い!怖い!!

 

早く、一段でも早く階段を降りねば。

子気味よく階段に僕の足音が響く。

 

暗い階段の先に明るい景色が飛び込んでくる。

やった!このまま母親の所に行けば・・・!

 

「えっ」

 

僕は絶句した。

そこには僕の見覚えのない景色がらあったからだ。目の前にあるのは御中元の催しなどそこにはなく、ただの紳士服売り場だ。

 

なんで??どうして??

 

階段の表示を見る。しかし、文字が掠れていてよく見えない。

ここは一体どこなんだ?

立ち尽くす僕の背に、突如声が掛けられた。

 

「あぶないでしょ、急に走ったりなんかしたら」

 

振り返ると、そこに居たのは

さっきの老婆だった。

 

「うわああああああああああ!!」

 

考えるよりも先に身体が動き出していた。

僕はそのまま奥へ奥へと走り出す。

 

老婆の足が予想以上に早い。

これは、どこかで撒かなければ!

幸いにも、この異世界?も建物の構造は同じようだ。となると、あそこしかない。

 

そう、エレベーターだ。

もしエレベーターがダメでもその隣には階段がある。ボタンを押す。

早く!早く!早く!!

 

『ニカイデス』

 

機会的なアナウンスが聞こえ、ドアが開いた。

エレベーターは無人だった。

 

おかしい。ここのエレベーターには全て添乗員がいるはずなのだ。

このままエレベーターに乗るのは不味い、そんな気がした。僕は踵を返して階段を駆け上がった。こちらの階段は新しい。

 

せめて上のフロアに行ければ!!

 

・・・

 

階段を登った先に見えたのは中3階だった。

 

 なんでだ?その疑問が頭の中でいっぱいになった頃、ちょうど目の前にいた母親の姿を見て、僕は安堵した。

 

「どうしたの?そんな顔して」

 

僕は今の今まで起きたことを話そうとした、 しかし、混乱した頭で話すものだから全く伝わらなかったのだろう、怪訝な顔で見つめる母親の表情は少し困惑しているようだった。

 

 「あのねあのね・・・」

 

「あら、ここにいたんですね」

 

後ろから響く声。聞き覚えのある声だ。

そう、あの人攫いの老婆だ。よもやここまで追ってくるのか・・・。

 

意を決して振り向く。

しかし先のような不気味さは感じられなかった。

どこか老婆の顔は穏やかで、何処にでもいそうな「普通」の人だった。

 

「迷子かと思ったけど、良かったわ」

「ああ、そうなんですね」

「いえいえ良かったです」

「ごめんなさい」

 

そんなやり取りをして、僕も親に言われるがまま頭を下げさせられた。

どうやらこの人はここの清掃員だったらしい。暗いトイレの中で急に声をかけられて僕も気が動転していたのだろう。

 

「もう、あんまりどこそこ行っちゃだめでしょ」

「はぁい」

「お母さんもそう怒らなくていいですよ、いやでもびっくりしましたよ。」

「?」

「だって真っ暗なトイレで1人でいるんですもの」

 

・・・・? え? 1人だった?

じゃあ僕が会った子は一体だれなんだろう?

 

今でも分からないし、今ではあの時あった彼がどんな顔をしていたのか、どんな服装だったのかさえも覚えていない。

 

 

数年後、学校の授業でそこが昔、酷い空襲にあった地域だということを聞いた。

それが関係あるのかは分からない。

もしかしたら僕の空想の中の話かもしれない。

 

ただ、今でも僕はそのデパートに微妙に不気味な嫌悪感を抱いている。

 

 

 

 

いちき串木野に2年住んで分かったことのハナシ。

チョッキプリィィィィィィ!!!!

(※特に意味はありません)

 

 

さて、私は一昨年から「いちき串木野市」に住んでます。

理由はといいますと・・・

 

【建前】

・「まち」のことを知るには「まち」に住まなきゃ!!

・  もっと「まち」に親しみたい!!

 

【本音】

・ 朝起きるのが辛い(鹿児島からは40分~60分)

・ 帰るのが辛い(主に突然に来る尿意のせいで)

・ そもそも交通費が出ないので、あまり費用的に差がない。

 

 

というわけで、JRくしきの駅近くに居を構えましてね。

そこで色々なことが分かったのでポツポツ書いていきますよ。

 

家を借りる時はネットより直接不動産屋に聞くべし

当たり前のことですね。もちろん、この情報化社会ですから

ある程度は物件情報なんかも載っています。

suumo.jp

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めっちゃ少ないんですけどね。

 

昔、私も大学の時に物件探しをしたんですが、その時に

「不動産会社さんは物件を共有しているようなもの」というようなことを聞いたことがあります。セールストークの一つだったのかも知れませんが、事実として実際はそんな感じのようです。(※詳しいことは下のリンクでも見てちょうだい)

 

www.kurachic.jp

 

とどのつまり大家さんが複数掲載を頼んでるかどうか、ってのが重要なファクターになっているんですね。で、いちき串木野市はどうかというと、勿論に大手さんと提携している物件もありますが、そういうケースでないものもあります。

 

と、いう訳で地元の不動産屋に行きましょう。

非常に親切ですし、いっぱい物件を紹介してくれます。

ちなみに引越前に私は鹿児島市内の不動産屋さんで一度、物件探しをしたのですが、やたら自社物件のゴリ押しと「成約はよ!」みたいな空気にブチ切れて、「ふざけんな!帰るわボケ!」というケースがありました。

 

というわけで、地元の物件は地元の不動産屋に聞きましょう。

ある程度の田舎感ある町ならコレはどこでも通用します多分。

 

物件選びのポイントについては書きませんが、この町では

マンション・アパートが少ないので、同じ値段で家が借りれます。

 

私の場合はとりあえずマンションにしました。

もちろん、後で痛い目を見ましたのでお楽しみに。

 

まちのことは外を見ないと分からない

で、気付いたことなんですけど少し家賃相場やら物価の相場が想像以上に高かった。

理由に関しては色々とあるし、書けない事情もあるのでボカシます。

 

まぁ、当たり前ですが需要と供給ですね。

同じ系列スーパーでも隣町の方が値段が安かったりします。

ガソリンもちょこっと高めに感じます。

あと一番ビビるのが「魚」についてです。

 

捌ける人が多いというのもあるのでしょう。

ナチュラルに大きな魚がドーンって売ってます。

カルチャーショックを感じました。

 

最近になって(?)

すき家が出来ました。念願の24時間営業店舗です。

飲食店では市来の湊町のジョイフルとココだけが24時間営業です。

聞くところに依れば、この町では飲食チェーンが軒並み撤退する風潮があるようです。

さすが「食のまち」です。並大抵のお店じゃ太刀打ち出来ない「味」があるんでしょうね。ちなみにチェーンであろうが個人店であろうが飲食店には「食のまち」の認定証みたいなのが飾ってあります。

ほっともっとにも、ほっかほっか亭にも飾ってあります。

非常に面白いですよね。

 

呑み食いが娯楽といっても過言ではない。

そのまんまなんですが、この町にはビリヤードもネットカフェもありません。

あるのは2種類の玉屋とカラオケ店です。

ちなみに駅前には2種類の玉屋さんが並んでいます。

2つの玉というと大事な◯玉を想像しますが、お察しの通りに(??)ゴールデンボウルというボーリング屋さんと赤玉というパチンコ屋さんがあります。

ゴールデンボウルの中にはゲームセンターもあります。

そう考えるとめちゃくちゃ都会ですよね。

 

子どもと親子はゴールデンボウルに行き、

オトナは赤玉に行くんです。

 

何だか卑猥に感じたアナタは悔い改めてください。

 

ちなみにパチンコ屋さんは

赤玉・ゴールデン八光・HEIWAがあります。

 

そしてカラオケ店ですが、大衆向けのカラオケ店は先日、ついに市内に1つだけになってしまいました。スナック的な要素のあるカラオケ屋さんはいっぱいあります。

居酒屋もあるし、女の子と飲めるムフフなお店もあります。

十分に楽しめます。

 

大自然が身近にあるんだよ

そして、この町のもっとも素晴らしいのが

「自然が身近にある」ということです。

駅前から10分も車を走らせれば「山」か「海」のどちらかにブチ当たります。

これがまた綺麗なんですよ。本当に。

夜になれば星空は綺麗ですし、夕焼けの美しさは県内随一だと思います。

本当に写真家など芸術家の方が住むにはステキな所です。

 

ただ自然が身近ということは、その脅威も身近にあるということでしてね。

 

先程、物件選びで失敗したハナシをしましたね?

今からそれをお伝えします。

 

2015年8月25日未明にそれは起こった。

何があったって台風ですよ。

住み始めて3ヶ月。ようやく家財も揃ってきた矢先にそれは起こりました。

まぁこの年の台風は本当にすごかったですからね。

 

matome.naver.jp

 

それでどうなったかというとコチラです。

 

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ただの汚い部屋(汚部屋)に見えますが、

上のガラスが割れたせいで、家の中に台風が入り込んでしまったんですね。

それで彷徨う暴風がガラスを叩き割って通過していきました。

家の中のものは全て綺麗に四隅に消し飛ばされていました。

 

台風「ちょっと通りますよ」

 

である。流石に「死ぬ!」と思ってなくなく避難しました。

雨戸がない家を選んでいたこと、山から吹き下ろす風が直撃するような位置に所在してることが相まってこんなことになったんですね。

これからというもの物件を探す人(知り合いとか)には必ず

 

雨戸があるマンションを選べ、リアルガチで。

 

と豪語しています。

 

 

この町に住んでて良かったこと

そもそも避難所がある、そしてその避難所を「防災無線」で流してくれるのが素晴らしいところですよね。

避難所で見知らぬご婦人(ALL還暦超え)と話したのは今でも思い出に残っています。

「何十年ぶりかの酷い台風だ」みたいなことを話していました。

 

はてさて、一睡も出来ぬまま

ボロボロの身体で、早朝に何とか家に帰ってきたのですがそこからが大変です。

 

・窓ガラスが道路に向かって今にも落ちそうになっている

・家の中がめちゃくちゃで家財が全滅した

・なんというかヤヴァイ。

・おなかすいた

・ねむたい

・あれ仕事いけなくね?

 

朝4時の凄まじい時間でしたが緊急も緊急だったのでソッコーで上司に連絡を入れて、

「ごめんなさい、休みます」と伝えました。

さて、戻ってきて、ガラスを何とかしようとしたのですが

素人の私にはどうしようもなかったです。

ガラスを叩き割って下に落とすにしても交通整理が必要だし、万が一でも下に落ちたら首がスパーンって飛ぶくらいには、このガラスは重かったんです。

 

そこで私は大家さんに相談して、「消防」に電話を入れました。

(朝6時から対応していただけるというのも地元ならではですよね)

 

私「ごめんなさい。台風でガラスが・・・」

 

消防「自分で何とか出来ない?こっちも瓦やらなんやら、ドアが開かなくなって密室状態になっている人とかでキャパオーバーや・・・(意訳)」

 

私「下が道路で落ちたら人が死にます(意訳)」

 

消防「わかった、なんとかするね」

 

そして十数分後、駆けつけて頂きました。

皆さんお忙しいというのに・・・迅速な対応で交通整理・ガラス除去をテキパキとして頂きました。本当に感謝ですよ・・・。

 

そして、7時になりましたので私はホームセンターに行きました。

いいですね。ここはホームセンターが近場に2件あってどちらも早朝から開いてます。まだガラス業者もしばらくは来れないということだったので、手前味噌で修理をしました。

その後、迅速な対応で保険屋・ガラス屋・建具屋・畳屋などが手配されていき、地元業者さんということで色々と融通を効かせて頂きました・・・。

 

さらには知り合いの方からも気にかけて頂いて、

人の温かさを知りました・・・。

 

いやー・・・本当、ここに住んでて良かった!と思いましたね。

 

結論

やっぱり日本一、「i」がいっぱいということだけあって、

温かい町ですよ。本当にここは。

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

まだまだ語りたいことはあるのですが

だいぶ長くなってきたので続きは次回!!

 

ではでは!!またね!

初恋の女の子が音信不通になったと思ったら声優になっていた話。

この話はフィクションです。たぶん。

いや、実際ほとんど本当のことが書いてあるんだけど、

僕の記憶が曖昧だったり、微妙に内容変えて書いているので
あくまでもフィクションということでお楽しみください。

 

ごめんなさい、タイトル詐欺です。

そもそも初恋の定義が微妙なとこなんだけど、

「はっきりとした恋心(一過性ではない)を持った」

→「初恋」ということで文章は書いていく。

そして、「音信不通」とか大々的に書いているけど

SNSの友人関係上でリセットされた、くらいのものだ。

(そもそも連絡を10年以上取っていない)

 

知り合いにこの話をしたら、

なかなか受けが良かったので記事にします。

それではスタートです。

 

その子との出会いのハナシ。

遡ること小学校3年生くらいか。

僕は塾通いをはじめた。

もちろん有名中学校への進学のためだ。

「有名中学校に通いたい!」というのも

「えらくなりたい!」「夢は政治家!」とかではなくて、

単に「給食から解放されるから」という理由だった。

偏食家の僕にとっては給食は地獄でしかなかったからだ。

 

ともあれ、そこで僕は1人の女の子に出会う。

表現は難しいが雛形あきこみたいな感じの顔付で、

鼻筋の通った綺麗な子だった。

その子は僕の隣の校区の子だった。

一目惚れだったと思う。

僕が塾通いをしていたのも、その子に会えるからという理由が大きかった気がする。

学校ではそれなりの「やんちゃ坊主」だった僕だが、

塾では借りてきた猫のように静かにしていた。

だから、特にその子と会話する機会もなかった。

塾の休み時間は10分ほどだったし、授業が終われば三々五々に親が迎えにきていたから、そんなに話すような時間もなかったし、話題もなかったのだ。

 

4時くらいに学校が終わって、6時くらいに塾の授業が始まる。

授業が70分、休憩10分、そしてまた授業が70分。

すぐにとんぼ返りして家。そして学校だ。

週に2度くらいはそんな子どもにしてはハードなスケジュールを送っていた。

(むしろ、親も大変だっただろうなとも思う)

 

しばらく経ってから、ある日に気づいたことだが、

どうやらその子は、たまに学校が終わると直接、塾に通っていたようだ。

(その子の学校は制服ではなく、私服だったから分からなかった)

 

僕もちょうどその頃、塾でも友人が出来ていた関係で

「学校終わったら、直接、塾に行って勉強しようぜぇ!」って流れになっていた。

 

自習室で、何度かその子と二人きりになることがあった。

消しゴムの貸し借りとか、塾の課題を見せ合ったりとか、

ほんとちっぽけなやり取りから、僕はその子と話すようになっていった。

 

5年生だか6年生の頃には、その子とすっかり仲良くなって

謎のおままごと設定まで追加されていた。

 

なんだか、よくわからないが女ジャイアンみたいな子に

「今日からお前は私の弟な!」ってなって

「◯◯ちゃんは私の妹よ~」みたいな感じから

よくわからないが僕らは姉弟?兄妹?にされた。

今でもこれは良く分からない。

 

まぁ、でも正直アリかなとは思った。

実際、その「謎のおままごと」のお陰で、僕とその子と話す時間は増えていた。

 

そして塾と学校の両立を果たした僕は

小学校6年生で謎のモテ期を迎え、自分の学校内に彼女(?)を作り、

塾ではその子に恋い焦がれるというクソのような生活を送っていた。

 

そして迎えた中学受験では

結果的に行きたかった学校には落ちて、

ワンランク下の学校(中高一貫校)に通うことになった。

(ここで家族と一悶着あったのだが、これはまた別の機会に話す)

 

その子との別れのハナシ。

幸か不幸か、僕はその中高一貫校で、その子と再会した。

ワンランク下とは言ったが県内では「女の子が行ける」という条件ではTOPの学校である。僕も彼女も勉強を頑張ったのだ。

 

とはいえ、僕は小学校6年生の謎のモテ期のときに、思春期を迎えたのと、

成績を上げたせいで塾のコースが上がってしまったせいで、

塾でもその子と少し距離を置くようになっていた。

話しかけることも少なくなり、そこそこ疎遠になっていた。

只の顔見知りくらいのもんだ。

ここで、「また一緒だね」とでも言えれば良いのだが、

クラスも同じになることもなく無残にも疎遠スパイラルに陥った。

 

ただ、やはり好きではあったので

夏前の頃、放課後の教室でアドレスを教えてもらった。

(当時のガラケーには赤外線機能なんかもないから手打ちorメモ書きだった。)

死ぬほど緊張して、手が震えたのを覚えている。

 

とはいえども、彼女も可愛かったからよくモテた。

あっさりと夏過ぎくらいには彼氏を作っていたような気がする。

というより、もしかしたら僕がアドレスを聞いた日に既に付き合ってたのかもしれない。まぁそのへんは曖昧だ。よく覚えていない。

 

僕も少しずつ、自分の恋心というものとの距離が掴めてきたからか

うまくやり取り出来るようになっていた(多分)。

もしかしたら、メールのたびに告白する「告り魔」だったかもしれない。

そのへんも曖昧だ。よく覚えていない。

 

ただその子と当時、みんなやっていた「ポケモン」を一緒に、

1回だけ、放課後に遊んだことは覚えている。

多分、当時のROMを動かせば、きっと「あの頃の彼女」とその子の「ひみつきち」が残っていると思う。僕とその子の関係において、それがピークだった。

 

さて、冒頭にも書いたように10年以上連絡を取っていない、と言った。

つまり、高校時代には連絡を取っていないわけだ。

その子は諸般の事情で中学校2年生くらいで転校した。

 

「転校するの?」「どうしても?」「なんで?」

たまたま帰省していた祖母の家で、真夜中になっても上みたいなメールのやり取りをした気がする。

もちろん何度も聞くので多分最後のあたり、かなり鬱陶しがられていた。

 

その子との再会のハナシ。

かれこれ月日は流れて高校生。

「転校した女の子に色々しつこくするのは女々しいぜ!」だったのか、

「脈が無いから、メールすんのも変やな、よし次行こ次ィ!」だったのか、

定かではないのだが、全くと言っていいほど僕は連絡を取らなくなっていた。

 

そして僕はしれっと、(実際は結構、必死に)彼女を作っていた。

そして高校2年生の冬。

僕はその子と再開することになる。それも塾(予備校)でだ。

 

確か、「お試し冬季講習」みたいなやつだったと思う。

数年ぶりに見た彼女はあいも変わらず綺麗だった(と思う)。

話しかけるには、月日が経ちすぎていたし、

その直前に聞いていた風のウワサもあって、僕は話しかけられなかった。

そのウワサというのは、その子が僕の幼馴染(?)と付き合っているというものだった。だから、とてもじゃないが話しかけられなかった。

(※いわゆる「よっちゃん」とか「ゆうちゃん」とかそれくらいの幼稚なアダ名で呼び合うくらいの幼馴染だったのだ)

 

ただ、僕の中でその出来事が

「塾で出会った子に、また塾で出会った」ということがとても運命的で、

ドラマチックなことのように感じられたので、

 

あろうことか!!

僕は!!

その話を嬉々として!!

当時、付き合っていた彼女に話した。

 

はい、僕はそこで殺されました。

今は冥界から書いています、便利ねインターネットって。

 

いや生きてますけどね。

とにかく、しこたま怒られた&悲しまれた。

(後々、この彼女が元々ジェラシーたっぷりガールだということを知る)

 

そして、それから更に2年後。

高校を卒業した僕は無事、殺されること無く(?)成人式を迎えた。

そして、僕はおよそウン百人はいる中で奇跡的に「あの子」に会った。

確か緑色の振り袖を着ていたような気がする。

奇しくも大学生だった僕は怖いもの知らずだった。

 

「久しぶり~!!めっちゃ可愛いじゃん!あ!写真取らせて!!!」

「!?ええ?久しぶり!っていいけど写真って!え??

 

と、困惑する彼女をよそに、写真を撮り、そのまま取り留めの無い話をした。

成人式おちゃらけムードに飲み込まれ、まるでキチ◯イのようなウェイになった僕は立派な変質者だっただろう。時の流れは残酷なものだ。

 

ちなみに、この直前に上述の小学校時代の元カノ(?)に

上手く話しかけられなかったことが悔しかったのも起因している筈だ、多分。

 

そして、写真を携帯(ガラケー)にお収めた僕は

それを嬉々として、また彼女に見せた。

 

人は過ちを繰り返す生き物なのだ。

 

彼女(の理性)は死んだ(明確には切れて暴れ回られた)。

 

今となってはアホなことなのだが、

「いや、純粋に嬉しかったのよ!マジだってば~!」みたいなトーンで

泥酔した彼氏に言われたのだ。そりゃキレるのもしょうがない。

よく生きてたな僕は。

 

「はつこい」との別れの話。

ともあれ、久しぶりに再開した僕は、更に数年後。

少しだけ親交を取り戻した。

便利な世の中でFacebookが普及したからだ。

 

僕も彼女がいたし、向こうも向こうで楽しんでいたようだった。

バイトのこととか書いていたような気がする。

そして、何か舞台?のことも書いていたような気がする。

 

ちょうどFacebookのタイムラインのアルゴリズムが変わったころだろうか。

 

彼女はこつ然と友達リストから消えていた。

気付いたものの、僕は別にもう自分の中で「過去」として割り切っていたので

別段、気にも止めなかった。

 

「あ、おらんな」くらいのもんだった。

 

そして一昨々年(3年前)のこと。

周りのススメで「ポケモン」のリメイク版を買った。

それは奇しくも、当時あの子とやったポケモンのリメイクだった。

相変わらずにあった「ひみつきち」のシステム。

アレンジはされているものの、どこか懐かしいBGMの数々。

どれも、淡い青春を感じさせてくれたものだ。

 

ちょうど、その頃。

ふとしたきっかけで、あの子のことを僕は見つけるのだ。

それも2chの「まとめサイト」で。

 

それは、新人声優を貶めるような内容だった。

「肩幅wwwwww」とか

「胸毛wwwww(ピンマイクの風防だと思う)」とか

しこたま色々言われていたのだが・・・・

 

同姓同名の子がそこにはいた。

というか、顔見る限り、プロフィールを見る限り、本人だった。

 

どうやら彼女は声優になっていたらしい。

 

なるほど、そのせいでFacebookのアレか・・・と納得した。

 

ただそれだけだ。

別にそこから「ちょっとウチのゆるキャラの声やってくんね?」とかの依頼に発展するわけでもないし、そもそも僕のとこの自治体には「ゆるキャラ」はいない。

 

だから、これ以上は何もないし、

僕から言えるのは「初恋をこじらせると死ぬ(かもしれない)」ってことだけだ。

 

皆さん、今お付き合いしている人は大事にしましょうね。

 

ついでに話す話。

 

ちなみに別件ではあるが。

先日、小学校1年生のクラス替えの日に

「あの子かわいい」と僕が母親に豪語していた(らしい)女の子は

東京でダンサーになってて個展をやるらしい。

(母親曰くには、お前の初恋はこの子らしい。納得がいかん。)

 

どうやら昔、僕の好きになった子は一癖も二癖もある子ばかりだったようだ。

 

ちゃんちゃん。

 

 

 

新年度が始まりましたねって話。

どうも、今日も「便所の落書き」ですので、
適当に読み流してくださって結構です。


さて、新年度が始まりました。

「年度」という表現は実にこう厄介ですね。

良い例として、先月に私の友人からラインが来たんですよ。

「来年から帰ってくるよ!!(鹿児島に)」って。

 

奇しくも3月中旬で「年度末」に取り憑かれていたのでしょうね、

私はこう返しました。

 

「まじか!年度?それとも平成30年ってこと?」

※原文そのままです。

 

もうね、送った矢先に「あああああ!」ってなりましたよ。

こんな返信したら「頭悪い」のもろバレじゃないですか。

※実際、彼(友人)に比べたら本当に頭悪いから事実ではある。

 

そんで返ってきた返事が

 

「来年度!四月からだよ!」

 

オイwwwお前も「年度末病」かよ!そっちかよ!!ってなった。

無論、彼は他の友人にも同様のラインを入れていたらしく、

共通の友人は彼が平成30年に返ってくると思ってたらしい。

そりゃ、そうだよね。

 

長くなりましたが、この話はあくまでも前置きです。

 

年度末は本当にめんどくさいって話。

新年度(4月)が始まると、色々と面倒である。

学校でいえば進級・進学。仕事でいえばリスタートなり新卒なり。

大抵は、「物事のはじめ」である。

「はじめ」があれば「終わり」がある。そんな意味で「年度末」は面倒だ。

例えば、私の仕事なんかは「年度単位」の事業が殆どである。

いや、私の仕事かどうかではない、この場合は

「報告先」が「年度単位至上主義」のところというのが大きい。

決算報告に事業報告に・・・報告だらけだからだ。

しかも、その報告が事業単位(個人で複数)だから書類の山が出来上がる。

その報告も、年度末で一括で見るような仕組みだから

相手「〇〇の件が入ってないね?」

 

私「それは◯月に報告済です」

 

相手「あー、いやこれも入れとかないと報告として見せるときに困るから欲しい」

↑(これ、8割方は普段の報告を見てないパターンから来る)

 

私「やぶさかではない」

 

こんな感じである。

そして年度末、3月末~4月頭には報告をするのだけれど、

5月くらいになってから出てくるのが、

 

相手「もう1回送ってor過去データまとめて」である。

 

もう、そっちに報告して承認されたデータなのだから取扱ちゃんとして欲しいし、

過去データについても、そちらでして頂きたい・・・というより

私は報告書に大抵は過去データとの比較を載せているから、

そこを見れば一目瞭然なのだが・・・

 

相手「もう1回送って」

 

私「やぶさかではない」である。

 

※やぶさかではないの意味はコレね。

www.weblio.jp

 

よく誤解されがちな言葉なので

「誤解されて欲しいな」と思いながら、よく言う。

心の中では「ええい、ままよ」とかも言っている。

しょうがないのだ、そういうものなのだ、お上様はと。

 

上に書いたのは、まだ軽いハナシで、たまに報告先が2つになる時がある。

その場合は指定されたフォーマットじゃないと受理して頂けない。

しかも、その上、担当職員が変わるとフォーマットこそ変わらないが、報告する範囲も変わってくる。

なんというかコレは何処にでもありそうなハナシなのだが、多分私と同族の仕事をしているなら分かって頂けると思う。ほんとにね、面倒くさいのよ(涙)

 

新年度は楽しみな部分もある・・・はずだよって話。

新年度になると異動がある。報告相手が変わるケースもある。

それによっては「やっとマトモな相手になったか」となることもある。

というか、「事業そのものの動かし方」もマトモになることもある。

とても、これは嬉しいことだ。これだけを楽しみにしている。

年度初めは仕事が忙しい部分もあるが、少し楽しみな部分もあるのだ。

私の仕事の場合は「年度縛り」があるので、

うまくすれば「七面倒くさいだけで何も意味のないような消化事業」が雲散霧消してくれることもある、これは本当に楽しみだ。

もちろん、新年度に上記のような「クソ面倒な予算消化事業」が降ってくることも多いにありえるのだけれど、まぁ楽しみだ。

 

と、いうよりも

ここで「楽しみだ」と言わないと

何も楽しい瞬間なんてないから「楽しみだ」と言っておく。

 

ここからが本題ですよって話。

最近、色々な人からインスピレーションを受けてるって話は前にもしたのだが、その多くはFacebookのタイムラインだったりする。

若いころの仲良しこよしメンバーでの馴れ合いFacebookではなくなっていることに、一抹の寂しさとFacebookそのものの価値観の変化を感じる。

 

で、先日こんなものを見た。

※木下 斉氏のFacebookページ投稿よりお借りいたします。

元記事はコチラコチラです。

 

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上記の木下 斉さんについては私も過去の記事でリンクを貼った。

「そうそう!そうですよね!」となるモノばかりを書いていらっしゃる。

もう、ファンですよ。下も見て頂きたい。

私の意見の9割9分はコレと一致している。

toyokeizai.net

 

そもそもウチも補助金受け皿会社(だと思う)だし、

お上が言ってること、やってることは上にクリソツ(に見える)だから。

ブラックジョークとして私は大爆笑してしまった。

 

笑い事ではないのだけれどもね。

 

今年度は「頑張らない」を頑張るよって話。

まぁ、そんなこんなで今年度(平成29年度)も私はここで働くのだけど、

今年度は上に書いたように「頑張らないことを頑張る」つもりだ。

と、いうのも無駄なことが多すぎるのだ。

全ては上の補助金関係と「お上」に振り回されている都合のせいだ。

別に私も何の気概もなく、この仕事を続けているワケではない。

粗方、やるべきことはやって来た。

そろそろ自分のやりたいことを少しずつやりたいのだ。

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

そのためにも無駄に疲れるようなことはしたくない。

 

という訳で今年の抱負は

「頑張らな(くても良)いことを頑張る」だ。

 

「それは何の根拠があって?」

「それは果たして私たちがやるべきことですか?」くらいのスタンスで行こうかなと。

そんな新年度のお話でした!ちゃんちゃん!