ぶーぶーの雑記帳

日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。

Webメディアのライターになって半年くらいになったのだけれども。

だけれども!!!

 

あまり、タイトルとは関係のないハナシをする。

 

「歯車」であり「ピース」だから噛み合わないこともある。

 

よく、社会的な物事において一個人のことを歯車とかピース(一片)と表現する。会社だったり、ごく狭い友人関係だったり、まぁ誰しもどこかで、一生に一度は聞いているハズだ。というか耳にタコが出来るほど聞いているかもしれない。

 

まぁ僕はこの表現が好きなのだ。理由としては「生きている」ものを「無機質的」に表現しているということに尽きる。本来は対人関係や社会的なコミュニティなんてものは極めて流動的で「生きている」ものだ。もちろん、その中の個々も「生きている」わけで、大きいものなら社会情勢だったりに左右されてしまう。もっと言えば、「朝にガムを踏んだ」というしょうもない理由や、「占いが1位だった」とかその程度でもアッサリと変化してしまうようなレベルだ。まぁそんなものを無機質的に表現しているということが面白いし、好きなのだ。無機質的なモノとして見ることで、だいぶ捉えやすくなってくるし、不確定要素を排除することで理解がしやすくなる。いや、理解したくないことを「理解したように錯覚させる」と言ったほうが正しいかもしれない。

※面倒くさいし長くなるので、そもそも本質的に「理解」とは何なのかという話は置いておく。

うまく歯車が噛み合わない、あの人が僕らの最後のピースだった、とかそういう風に比喩として用いてしまえば、「ほーん、なるほどそうなのね」と聞いていて思考停止で納得も出来る。もちろん、「歯車」にしろ「ピース」にしろ、大抵の場合は流動的・有機的な人間を「無機質的」に表現するわけだから、「歪み」が生じているという前提がそこにはある。しかし、大抵の人はそこを理解しているのでこの表現はスンナリと成立する。うーん、ピースじゃなくて「歯車」に絞ろう。そのほうが分かりやすい。

 

大丈夫?話、噛み合ってる?

 

ここまで読んでもらって意味が分からない・ピンとこないのならば、きっと僕の表現と上手く噛み合ってないのだろう。「大丈夫?話、噛み合ってる?」って良く言うだろう、それだ。非常に便利な表現なのだ。 
今、この煽りじみたコメントを見て、ちょっとモヤッとした人はきっと僕と何らかのシンパシーがあるかもしれないのでそのまま我慢して読んで欲しい。


おそらく気付いたかもしれないが、この「歯車」とかいう表現は相手に使う際、無意識的に相手の状況をあまり鑑みずに「物質」として落とし込むような部分があるのだ。「貴方」と「ワタシ」が上手く噛み合わない理由は、きっといっぱい色んな要素がある。経験、価値観、その日の気分、テンション、言葉選び、人間性、性別、国籍、信教、本当に色んな理由や概念のもとに「噛み合わない」し、「嵌まらない」のだ。むしろジャストフィットなんてそうそうない。自分でさえも、自分自身とはきっと上手く合致しないのだ。物事には人生には不確定要素が多過ぎるからだ。

 

「誰とも真の意味では理解をし合えない」

 

そういった意味でやや諦めを受け入れて、執着を全て捨て去って行くときに「歯車」という表現が実に「気楽」なのだ。説明の排除も出来るし、「だから、仕方がない」と切り捨てていける。無機質的なものとして捉えることで、本来は尊重すべき向こうの意志や思想などを全て捨て去って、「理解」することへの労力を全て雲散霧消にして、アッサリと断念出来る。

僕という人間は「理解すること」は無理だけど、「理解するふり」は全力でやりたいという人間だ。なぜ「理解するふり」なんて言うかと言えば、そんなものは僕の都合解釈上で納得がいくことが「理解」でしかないのだから、「ふり」だ。僕はサトリでもなんでもなければ、別に聖人でもなんでもないから、「真の理解」をあっさりと捨てた。だから心理関係の道に行くことも諦めた。

 

「潤滑油」です!とは何なのか。


というわけで心理関係の道を諦めた。僕の中では私事でさえも「理解」が面倒くさいので、到底仕事には出来ない。ただ、金と時間を費やした以上、困らない程度には、それなり技法の序の口だけと、概念だけは少しだけ覚えてきた。

 

合コンの「さしすせそ」のように、ある程度の言葉のパターンと表情でそれなりに人間味は出せるはずだ。でもそれは「噛み合ってる」わけではないし、「嵌っている」わけでもない。しかし、そこそこ「回っている」ように見せかけることが出来る。それの表現は、学生諸君が就職活動で使う大好きなアレだ。そう、「潤滑油」だ。

 

 学生諸君のいう「潤滑油」の中身を聞けば「上手くコミュニティを回せます」「会話を繋げます」「コミュ力高いです!」というようなことだ。別にそれが悪いというわけではない、誰にでも嵌まる(ように見せれる)歯車は重要だし、アドが高い。

しかし、僕が話してきた中で、言っている・言ってないは別にして。そういう奴ほど、その「歯車」としての質はさほど高くはない。よく回るだけに、実にちっぽけでベッタベタな潤滑油まみれだ。

それどころか、「潤滑油」があまり意味のない場面もある。それは何か。実にシンプルなこと、向こうの歯車が硬すぎた場合だ。歯車が硬いとはどういうことか、それは人の「硬度」だ。ぶれない芯だ。そして、経験や権力から生まれた「強さ」だ。こんなものに合わせたところでガリガリ削られる。どれだけ潤滑油がヌルヌル出ていようが、いちいち噛み合わせていったところで、ある程度、自分自身に強度がなければガリガリ削られて、最後には割れて折れてダメになってしまう。そうなるともう駄目だ。

 

それでも目指すのか、そして言うのか。

「僕は潤滑油です!」と。

別段、コミュニケーション能力の高さは重要だけど、芯がないとダメなんじゃないかなと僕は思うし、昨今の潤滑油珍重社会には少し危機感も感じてる。何なんだ、この国ではオイルショックでも起きたのかと。

 

「潤滑油」がなくても「歯車」は回る。 

敢えて言いたいことは別に無理して 潤滑油まみれにならなくても良いということだ。向こうが噛み合わせてくれれば歯車は勝手に回るのだ。「昇進したい!」「気に入られたい!」というのもわかるし問題を起したくない、歯止めをかけたくないというのも大いに理解が出来る。しかし、ある程度の「潤滑油」があれば、コミュニケーションは回るし、「潤滑油」がなくても「歯車」は回るのだ。向こうが潤滑油を出してくれるというパターンもある。もっと酷いことを言えば、ごく限られた人の域まで達せば、自分自身の強い芯で無理矢理に相手の歯車の形を歪めてぶん回すことだって出来る。一旦、砕いて再成型させて「回る」ようにすることも出来る。というか、やってるやつがいる。大体、分かってきたと思う。そういうことだ。歪みのある「歯車」を歪んだ「歯車」がさらにぶん回しているのが社会だ。別に意識しようがしてまいが、そんな感じで回っているのがコミュニケーションだ。

 

完全な理解など無理だ、分からないことだらけだ。だからこそ、「無機質的」に捉えてしまったほうが気が楽になる。その中で、その過程で上手く噛み合わない時や、上手く噛み合わせたい場合には「向こうの事情」も少し考える。それだけで人生はだいぶ楽になる。その余力で自分の歯車の芯を固めていけばいいのだ。正直なところ、これは僕の人生の中で見つけた「解」であり、そして僕が「人」を無機質的なものとして捉える「歯車」という表現が好きな理由だ。でも心ないことはしたくないし、優しさはある程度は欲しい、あくまでも人間は「歯車」ではない。あくまで表現世界のことだから、「無機質的」に捉えたからと言って酷(非道)いことはしたくなはい。

 

そろそろタイトルの話に振り返って話す。

 

とんでもないこと言ってるなって?

じゃあ、僕と貴方の歯車は噛み合わないんでしょう。

 

これでいい。ある程度は傲慢でいい。それが許されるのならばそれでいいと僕は思うのだ。ここで、そろそろタイトルの話に振り返って話す。

 

WEBメディアのライターになって半年が経った。

 

ブレながら、失敗もしながら、前回の記事でも書いたように「師匠」と呼ぶべき人からの教えを真摯に受け止めながら、ひたすらに書いてきた。

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

それなりに評価もされている・・・というか身に余るような評価をされていることもあって正直に困惑している。そんな僕が某WEBメディアで書き始めて最初に「こうしなきゃ」と思ったことがある。それは「一貫したキャラ性」を出すことだ。もちろん記事は伸びて欲しいし、万人受けすることは嬉しい。出来れば全国的にBuzzって評価もされたい。僕も平均よりかなり下回りはするが、微塵には功名心がある。

 

僕のコンセプトは実にシンプルだ。

・アホなライターを貫く(※でも、たまに真面目なことも書く)

・新規店より既存店に目を向けるにする。

・ありきたりなものは目を向けないようにする。

・「面白い」・「喜ばれる」の両立を目指す。

・ホームランは目指さない。犠打でいい。

 

これが僕のWEBメディアにおいて設定したキャラの芯だ。というか、これは僕の人生哲学でもあり生き方だ。だからこそ、僕の記事が嫌いな人もいると思う。それは別にあまり気にしないし、人それぞれだ。

 

僕の記事と貴方の歯車噛み合わないんでしょう。

 

くらいのスタンスだ。WEBメディアには匿名性がある。駆け出しのライターの僕は「生まれたての赤子」同然だ。今からなのだ。歯車が噛み合わないからといって、イチイチにブレたくないし、そんなものに振り回されて理想像から意図せぬところで掛け離れていくのも大いに困る。もちろんクオリティを高めていって、無理くりに「今、嵌っていない」人も噛み合わせてブン回していきたい。

 

 

というわけで「面白くないよね」と言う人が、少数派になるくらいまで、芯を太くし続けていきたいのだ。余計なことは考えたくはないし、ブレたくもない。ぶっちゃけて言えば、同業で色々いう人もいるんだけど、「だから何なのか」と。僕はそんなものに振り回されたくもないから、その人に歯車を合わせる気もないし、潤滑油も出したくないよと。だいぶ長くなった。

 

ということで、本日の曲はこちらです。

 9mm Parabellum Bullet / Heart-Shaped Gear

 

 

わかんねぇことだらけだけど、まぁとりあえずやっていこうよってね。

クソのような設定台でクソのような接客を受けて糞ムカついてきたからクソ記事を書くよ。

どうも私です。ここで書くのは久しぶりですね。

まぁ試験運用として開設したブログなのですがチマチマ100PVくらい稼いでいるのが謎、ほんとに謎。こんなウンコのようなブログにも関わらず、読んでいただいている方がいるのは嬉しいことですね。マジ感謝マジ感謝感激★

 

というわけでのような体験をしたので書きます。

別にこの記事で、糾弾してやりたいとかそんなもんは一切ないのでご安心下さい。あと色々とめんどくさいことはゴメンなのでフィクションも入ってるってことで頼みます。

 

じゃ書くよ。

 

僕が住んでいる町にはゲーセンが一つしかない。それが「サ● ゲームス」というトコロだ。こいつがボーリング場と併設されているタイプのゲームセンターで、今風な明るい感じのゲームセンターではなく、やや暗めの内装。まぁ、30代前後の人なら大体にイメージは掴めるだろう。わかんない10代~20代はハイスコアガールでも読んでくれ。大体分かるはずだ。置いてあるゲーム機も古めのものが多くて、「何でこれを置いてるんだよwwww」というようなチョイスの筐体もゴロゴロある。まぁそんな地元のローカルな感じのゲームセンターだ。

 

景品だって、こう訳の分からないメーカーが作った(失礼)ようなハンドスピナーとかアイフォンのカタチをしたライターとか、電気が出てビリビリ痺れるマジックペンみたいなオモチャとか、そんなもんばかりだ。あとは地元の層に併せてだろうか、やたらとパチンコ版権の景品やワンピースのフィギュアが多い。で、たまにファミリー層を狙ってか、キャラクターものも仕入れているようで。先日はたまたまこれがあった。

 

www.bpnavi.jp

 

かわいいいいいいいい~!!!!!!

 

なんですが、よりによって。

台が、リング置きの台。(わかんない人向けに画像置きます)

 

f:id:bu-bu-karon:20171001111917j:plain

UFOキャッチャーについて。(画像あり)この輪っか系のクレーンゲームで良く「... - Yahoo!知恵袋 より

 

最近多いよね、このパターン。まぁさこれって誰でも金かければとれるっていう台なんですよ。少しずつ手前・奥と繰り返して棒から落とすようにするだけのことだから。技術云々よりも運ゲー&投資額&台の設定が重視されるんで、クレーンゲーマーの人ならやりたがらないような台よ。

 

100円1Play & 出て間もない景品というのも正直なところ不安でしかないんだけど、とりあえず500円(6Play)やるじゃない。おおおおお!結構いい感じ!!!って状況だったので追加投資&追加投資&追加投資・・・。

 

まぁとれない。というか全然前に進まない。

 

このテの台は僕もよくやるのだけれど「全く進まない」というのは初体験。そんで、台をよく見ると、梱包テープで乱雑に固定している棒がプライズの重みで、シーソーみたいに逆側がすこーし浮いてきててナナメになっているわけだ。シール剥がれませんかこれwwwwってくらいにはグイーンって。

 

で、多分ここまで書いたら分かる方もいるはずでしょうが、アームの可動域含めてどの角度で引っ掛けても進まないのは棒がナナメになっているからなんですね。いやはや、こいつは困ったなぁと。このナナメになっているのは「仕様」なのか、はたまた「整備ミス」なのか、僕的にはもうシールが限界手前まで伸びてるのを見る限りは「整備ミス」っぽいよなぁと思いつつ、カウンターまで行き、店員を呼ぶ。

 

 

「ごめんなさい!ちょっと見てもらいたいんすけど」

 

「はぁ・・・?はい」

 

おそらく年齢的に店長さんでしょうかね。凄まじくめんどくさそうにカウンターから出てくる。めっちゃスマホ弄りながら。

なんだなんだ、シャドバでもやってんのかそれともパズドラか?モンストか?というか仮にも接客なら、手に握ってるスマホはカウンターに置いてこいよとモヤァとしたものを胸に秘めつつ、下手に出る。

 

「いや、この台なんすけど、アームが(ry」

 

「・・・と言われましてもォ~」 スマホポチポチ)

 

 「ああ、じゃあ仕様ということなんですけw?」

 

「いや・・あーではァ、とりあえず見せてください」 スマホポチポチ

 

(見せてくださいとは?)

 

「んァ、実際にプレイして見てくださいってことですゥん」 スマホポチポチ

 

なるほど。台を店員が見るとかではなく、「お前が実際にやってみせいと」いうパターン。つーかスマホ弄りたいだけだろコイツと。

 

「あーじゃ、わかりました。」

 

「・・・・・・どうぞ」 スマホポチポチ

 

「え?」

 

「・・・・どうぞ?」 スマホポチポチ

 

まさかの確認用の1クレを客がセルフでやらされるパターンwwwwwwwwwwwwwwこれも僕的には初めての展開でビックリでした。まぁでも交渉のテーブルだしねwwwwwしょうがないしねwwww

 

と実際にやってみせる。まぁ結果はさっきまでの2,000円相当と同じ結果。

 

「ま、こうなるんで、アームの可動域的にコレとるのキッツくないすけ? これ棒がナナメになってるのって元々です?」

 

「んー・・・どうですかねェ」

 

「あーもう、いいす いいす あざした。」

 

ああ、こいつはハナシにならんなと。まぁ元々、向こうとしても話をする気がなかったってのもあるんでしょうね、とりあえず「仕様」なのか「整備ミス」なのかも分からずじまいで金をかけちまいました、ということ。

 

景品とれなかった!!クソ店!!!とかいうつもりは毛頭ないんですけどね、あげな「クソ接客」をされると流石に僕も「クソ」ほどにはイライラしますよね。知り合いには「あーあそこはクソ店でクソ店員がいますよ」と教えたくなるほどには、ウンザリでした。せめて接客中のスマホポチポチはやめっくれ~。

 

金返せ!景品寄越せ!とは言わないけど、クソ接客はダメゼッタイ。

 

あと景品は大抵、メルカリ(闇市)がいいぞ。多分に店員が横流ししてるような気がする。送料込みでもあの価格は設定的に無理だ。
※設定・・・ゲーセンで設定される景品獲得のボーダーライン。おおよそ仕入れ値×3倍程度と言われている。

 

あと確率機には気をつけろ(ブッッブブ~とかイケテネ―のやつ)

 

というクソ記事でした。

 

そこのゲーセン、戦場の絆置いてるみたいだから、今度シートに糞してくるわ!!!!!

 

(嘘です、しませんよ。バカバカしい。素直に二度と行かないwwww)

 

ってなわけで 

ではでは、またどこかで。

 

あじゃじゃした~!!! 

 

あ、あとこれフィクションだからよろしく♡

【小咄】師匠シリーズが僕は好きだ。

師匠シリーズという2chのオカルト板から派生したシリーズものがある。作者はウニさんという方で、まぁ創作といえば創作なのかもしれない。無論に彼の学生生活の事もどこかで散りばめられているから、きっとフィクションじゃない部分もあるのだろう。

敢えて言う。僕はあのシリーズが好きだ。

 

創作乙とか言われようとも僕はあの文が好きだし、僕と俺を組み合わせた文体を含めて、あの文書が好きだ。

まぁそんなことはどうでもいい。あくまでも前置きが長いのが僕の悪い癖なのだ。いつもの通り流し読んでやって欲しい。

 

今、僕には師と仰ぐ人がいる。いや、師という表現は少し言い過ぎかもしれない。しっくり来る表現で表すならば、そう鹿児島独自の表現で言うところの「兄サァ」だ。歴史の教科書の片隅に載っていたかもしれないが鹿児島には郷中教育という文化があった。つまり「兄サァ」は身近な師であり、頼れる兄貴分であり、人生における先達だ。別に血の繋がりとかではない、緩い義兄弟のようなものだと思ってほしい。

 

 

さて、こういう話をなんで急にするかと言うと、僕にとっての「兄サァ」という存在の在り方が冒頭の書き出しで触れた「師匠シリーズ」の「師匠」に重ねてしまうような部分があるからだ。「ある」と書いたが、断定できるだけの材料はさしてない。そんな気がする、その程度のものだ。戯言をまた言っている、くらいのニュアンスで捉えていただいても問題ない。

 

「師匠シリーズ」は未完であり、時系列もバラバラに紡がれたものだ。ゆえに「恐らく、こうであろう」とか「恐らく、ここがこう繋がってくるのであろう」という推測の域を出ない部分が数多く存在する。しかしながら、一つだけ、全てに共通する物語のテーマ性のようなものは暗に示されている。

 

それは実にシンプルなことであって、『「師」は去るものだ」ということだ。もちろん、これは僕の抱いた推測の域の話だ。名言されてる訳でもないし、コアなファンの指摘に当てられようものならば、こんなことは簡単に崩壊させられるような脆い考察だ。

 

何時からだろうか。いや、恐らくは最初からだろう。そう、僕の「兄サァ」のイメージは『師匠シリーズに出てくる「師」に近似している。ゆえに頼りにもなるし、親近感も持てるし、慕いたくなる。そのネット世界に紡がれた物語の師弟の関係性と似ているのだ。盲信していると、人は見るかもしれない。

 

僕は「兄サァ」が「師」として去ることが今恐ろしく怖い。彼のやっていることは命を削るように動き回るように見えてしまう。それくらいには、 多忙な方なのだ。

 

まぁ、今後がどうなるかだなんてことは僕にも分からないことだし多分に考えるだけ無駄なことなのだから今は今でやることをやるし、それが一番楽しいことだろうから、そうする他ないし、考えるだけ無駄だ。

 

先のことなんて誰にも分からないこと。

 

一寸先は闇。

 

 師匠シリーズにおける名言の一つにこんなものがある。

 

「こんな暗闇のどこが怖いんだ。目をつぶってみろ。それがこの世で最も深い闇だ」

 

僕の拡大解釈で行くなれば。目をつぶると、人は身動きがとれなくなる。つまりそれは、歩みを止めることこそが最も怖く、深い闇なのだ。考えるだけ無駄なこと、僕はひたすらに「書く」しかないのだ。それがとてつもなく今は楽しい。

 

【冷咄】夏のゾッとした話。

そう、あれは・・・僕がこの街に引っ越してきた最初の年のことだ。
夏の夜のこと。そう、あれは確か猛威を振るう台風が接近しているとニュース・新聞が慌ただしく世間を急き立てる夜だった。次第に強くなる風、そして降り始める雨。少し職場に居残ってしまったせいで、だいぶ外は暗くなっていた。そのまま車で走ること数分、家に着くと僕はベランダへ向かった。

 

良かった。幸いにもまだ植木鉢も物干し竿も倒れていなかった。てきぱきと片付けを済ませ、養生をし、窓を閉める。僕の住んでいたマンションには雨戸がない。窓に大きくバツ印をするようにテープを貼って、かりそめの台風対策をした。ふと外を見やると、だいぶ雨風が強くなってきていた。時折、おそらく隙間風であろうか「ヒュオオオオオオ」という気味の悪い音が部屋にまで響いてくる。あまりいい気はしない。外の方では、おそらくビニール袋であろうか、何かが飛んで行く姿も見えた。
忙しなく走る車のヘッドライトが霧状になった雨の中をぼんやりと光り、そして消えていく。そんな光景をぼんやりと見ていたその時だった。

 

ふと視界の端に「何か」が映った。

何か変な「影のようなモノ」が向かいのビルの上で蠢いていた。

 

あれは何なのだろう。
人?いや、こんな暴風雨の中、あんなところに人がいるわけもない。

きっと風に煽られた衣服か何かがビルの屋上の柵にでも引っかかっているだけだろう。いや、そうに違いない。そうじゃないとしたら・・・あれは何なのだ。
言い様のない不気味なものを感じた。

「何も見ていない」

 

そう言い聞かせて、カーテンを締めた。

そして鍵を確りと閉め、少し遅めの夕食を取り、

その日は少しだけ早く寝た。

 

 

おそらく2時頃だったと思う。

不穏な気配を感じて目が覚めた。

いや、「目」だけが覚めた。身体が動かない。

 

所謂、「金縛り」というものだ。

 

明かりを消した部屋のどこかから。

何かに見られている気配を感じる。

「ヒュオオオオオオ・・・」
外は恐らく、さっきより雨風が強くなったのであろう。
相も変わらずに不気味な音が鳴り響いている。


時間にしては数分程度であろうが、時の流れがとても遅く感じた。

 

少しずつ身体の自由が効き始めた頃。

凄まじい轟音が部屋中に響き渡った。

と同時に、「何か」が部屋の中を駆け回り、

そして部屋の引き戸を無理矢理に押し倒すように僕へと迫ってきた。

外れたドアが目の前へと倒れ込んでくる。

身体の自由はまだ完全には効いていない。

倒れてきたドアを持ち上げることも敵わない。

 

不味い、何か分からないけれど非常に不味い。

 

しかし、その「何か」は僕を襲うことはなく、
僕を押しつぶすように倒れた扉の上を掠めて、

窓ガラスを叩き割って出ていった。

 

重いガラス戸だ。下手をすれば頭からガラスの雨を被っていただろう。

やもすれば死んでいたかもしれない。

金縛りに会ったことが返って、功を奏したようだ。

 

ガラス戸を持ち上げ、身体を起こす。

部屋中めちゃくちゃになっていた。

割れたガラス片が床いっぱいに散らばっている。

一切の家財道具がなぎ倒されている、非日常的な光景だった。

 

外の台風の強い風と雨が吹き抜けている。

このままでは夜はとてもじゃないが越せない。

 

粗方の貴重品を持って僕は避難所へと向かった。

 

避難所へと向かう車内で、

ふと、僕は先程の「ビルの上にいた何か」を思い出した。

ちょうど、その場所からもビルは見える。

 

煙草を咥え、火をつける。

ライターを持つ手が震える。

きっとショックが残っていたのだろう。

 

ビュオオオオオオ・・・ゴオオオオ・・・

 

相も変わらず、鳴り響く轟音に気味の悪さが拭えない。

ふと、ビルの上を見る。

 

「何か」はまだそこにいた。

そして先程よりもくっきりと見える「それ」を僕は直視できなかった。

 

見てはいけないものだ。あれは恐らく。

 

夏が来ると、毎年思い出す。

雨が降ると、毎日思い出す。

台風が来ると、やはり怖い。

 

ハッキリとは見えなかったけれど、

「アレ」は明らかに

人よりも長い手を振り回して、

不気味なほど大きな赤い口を開いて。

狂ったように、踊るように。

 

嗤っていたんだ。

【小咄】サマーナイト・チルドレン

全国的に夏の風物詩とも言える「花火大会」。夜に打ち上がる花火は美しい。真夏の暑さも忘れるほどに、夜空を染め上げる花火は、とても美しく輝いている。興奮冷めやらぬ二人、火照った身体、冷えたビールと休み場所を求めて彷徨う姿。これも夏の風物詩と言えるのではないだろか。

 

無論、何も起こらないわけがなく。

 

少し鹿児島県鹿児島市の話をしよう。

毎年、鹿児島市では「サマーナイト大花火大会」なるものが開催されている。もちろん、鹿児島ゆえに台風などの天候に悩まされることも多い。しかしながら、市内のみならず県内各地から「飛んで火に入る夏の虫」よろしく花火を見に、その日は海沿いへと集まってくる。色んな意味でアツいイベントだ。

花火大会の夜は夜伽の場所も超満員だ。聞くところによると花火大会は一年、いや二年近く前から戦いが始まっているらしい。人によっては住む家の指標にもなるようだ。相手がいないけれど、絶対に捕まえる一心で宿をとる猛者もいるようだ。

 

花火大会は戦場なのだ。

 

戦場といえば、「戦場のメリークリスマス」という映画を思い出す。

 

そして、クリスマスといえば聖夜、いや性夜だ。

「性の12時間」なるネットスラングも存在する。

 

ちなみに僕の誕生日、いや生まれの予定日は11月4日だった。十月十日(とつきとおか)でいけばクリスマスチルドレンになる。とはいえども、十月十日(とつきとおか)は昔の「数え」の概念である。つまり、実際のところは、9月中旬くらいが真性のクリスマス・チルドレンになるわけだ。事実、全国的に見てもそこのあたりに誕生日を迎える人は多いようだ。(勿論、予定日ぴったりという訳でもないので、一概に言えることではないのだけれども)

 

少し話を戻そう。クリスマスも花火大会も戦場だ。

花火大会の後にも、クリスマス同様に別の「戦い」があるはずだ。

 

 

鹿児島生まれ鹿児島育ちの5月頃生まれの子がいるとすれば、それはもしかしたら「サマーナイト・チルドレン」なのかもしれない。サマーナイト錦江湾大花火大会は今年で17回目を迎えた。もう、僕の周りにいる子の中にも「サマーナイト・チルドレン」がいるのかもしれない。そして、あなたの周りにも。

【小咄】やはりカカオ60%なんてものは苦い

昔話をしよう。
厨二病を乗り越え、高二病になっていた頃の話だ。

当時、世間では謎の高カカオのチョコレートが流行っていた。
60%や70%はたまた99%というような暴力的な苦さの商品が所狭しとスーパーに陳列されていた。あらかた、どこかのTV番組で放送された影響であろうか。
とにかく甘いチョコレートよりも苦いチョコレートが持て囃されていた。そんな中、僕は背伸びをしがちな高二病の患者(クランケ)だったので、決まって60%のチョコレートを常用していた。しかも当時は個別包装タイプではなく板チョコしかなかったものだから、バリバリと高カカオのチョコレートを食べるジャンキーのような「危ない男」を気取っていた。「苦くねぇのか?それ」みたいな事をいう同級生に「フッ、子どもだな」とでも言いたげな顔で「別に」と答えていた。そのくせ珈琲が飲めないから、ただのおかしいやつだという悪評だけが高まっていたに違いない。

まぁ高二病厨二病のダブル羅患だったのだ。
正直、どうしようもない。

そんな秋口の頃、性懲りも無く恋をした。その子はとても笑顔が素敵でキラキラとしたオーラを纏っていた。僕は飛んで火に入る夏の虫のように、その輝きに惹かれていたのだろう。つまり、高カカオの板チョコをバリバリと食べる闇深いアホがキラキラした可愛い女の子は恋をしたのだ。その輝きに僕の闇は敵うはずもないし、彼女の感性に僕の瘴気は適うはずもない。その恋は当たり前に実らなかったし、叶わなかった。

むしろ、マジで勘弁してくださいくらいの手酷いオーラで「怖い」と言われた。流石に僕の高二病&厨二病も醒めるくらいのフレーズだった。「やった、怖がられた!」みたいなのは一切なかった。

 

帰り道、慰みをくれる悪友たちの横でポケットからカカオ60%のチョコレートをいつものように取り出し、噛る。苦い。

「苦いなぁ・・・」

その日、その瞬間に僕の呪縛をカカオ60%チョコレートが完全に解いてくれた。

 

数年後。

性懲りも無く高カカオ商品は今も変わらず店頭に並んでいる。今では個包装されていて、半分健康食品や機能性食品かのように並んでいる。ひとつ買った。

あの時の同じ、カカオ60%のものだ。

もちろん苦く感じた。

食べた瞬間にフラッシュバックした、あの日のビターな思い出。

当たり前にのようにそちらの方が苦く感じた。

 

やはりカカオ60%のチョコレートは苦い。

チョコレートと人生くらい、甘いものを好むべきだった。
そんなコトを考えながら微糖の缶コーヒーを僕は今飲んでいる。

 

厨二病高二病は乗り越えてきた。

しかしまぁ。成人病を羅患する日が今度は迫ってきている。

 

人生はカカオ60%のチョコレートくらい苦いものだと僕は思っている。

 

「やっぱり、苦いなぁ・・・」

【小咄】カレーと女性に最適解はない。

カレーは好きか?
と聞かれると恐らくに8割は「好きだ」と答えるだろう。
ちなみに僕は激辛が好きだ。
ただし、野菜は苦手なのでスープカレーのようなゴロゴロ野菜はあまり好みではない。じゃあ甘いカレーはどうなのかというと、まぁ実際嫌いではないし食べれなくもない、いわゆる普通なところだ。普通と言っておきながら、「ほしの王子様カレー」とか「甘口のバーモントカレー」とかたまに食べるとメチャクチャ美味しく感じるけれども。


まぁそんなことはどうでもいい。
たまには好みの女性の話をしよう。

どうせみんな好きな話題の筈だ。

 

男性同士で集まって呑む時に語られる話題の中で、
これは永遠のテーマとも言える。

胸のサイズは?
毛深さはどうか?
匂いはどうか?
顔のスタイルはどうか?
ブス専か?デブ専か?
そもそも男の方が好きか?

それも人それぞれだろう。

空腹は最大のスパイスともいう。
多分に女性の好みだってそんなものだ。
恋は盲目。
目をつぶれば、「カレーだ」と認識は出来るだろうが
それが自分の好みかどうかだなんて分からないだろう。
カレーじゃないとして、ハヤシライスだったとしたら災難だ。
きっとタイにでも行ったのだろう。
もしかしたらそれは。
タイカレーで大当たりだったのかもしれない。
しかし目隠しをしていて、空腹ならば
どうせ人は満足をしてしまうのだ。多分にきっと。


だから多分、そんなものだ。
胸がない子、スタイルのいい子が好みの人も居れば、
逆のモノがタイプの人だっているだろう。


え?こういう話はもういいって?
まぁとりあえず聞いて欲しい。
ただ、このテーマには一つの大きな欠陥がある。

男はカレーではないということだ。
例えを選ぶならば、そうだな。
ハンバーガーやホットドッグみたいなものだ。
バンズが外見で、味付けは中身(心・性格)であって
パティ(肉)はナニの部分と思っていただきたい。
ボリュームが足りないのは満足に繋がらない。
ボリュームが多すぎるのは人を選ぶ。

ええい、話が逸れた。

カレーと女の子には最適解がないのだ。多分にきっと。

その日に食べたいカレーがあるように。