ゆとりのゆーとおり。

某ローカルWEBメディアでライターをやっている人間が日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。旧タイトルは「ぶーぶーの雑記帳」。ということでしたが、それの跡地になってます。

地方でクソのような人生を消費していただけの自分を変えた、唯一の決断。

ついに一年が経った。


何がってそう。
鹿児島をアツくユルく紹介する
某WEBメディアのライターになって、
ついに1年が経った。

www.kagoshimaniax.com

 

 


せっかくなので少しだけ
思い出を振り返りながら書いていく。
一部、過去記事と重なる部分については
記事リンクも挿入しつつ、書いていくので
気になった方は読んでみて欲しい。

 

振り返ればクソのような人生だった。

僕の人生の話を少しだけする。
僕は鹿児島に生まれ、鹿児島で育ってきた。
小さい頃は、町の中心部に暮らしていて、
地方都市のシティーボーイだった。


それなり利発で賢い少年(自称)だったから、
幼稚園・小学校は国立大学の附属学校を出て、
中学・高校に関しては、
受験もしっかりとこなして、
地元でもTOPクラスの私立学校に通っていた。

 

ひとえに言って
「親さまさま」な人生だった。
僕の家庭はいわゆる庶民的な家庭だった。
本当に苦労をかけたと思っている。

 

しかしながら、それを反故にするようなガキだった。
だいたい、高校入学あたりから
自分自身でその「栄光ロード」みたいなのを
さっさと離脱してゲーセン通いをしたり、
ヤンキーの真似事みたいに荒れていた。

 

もちろん、結果的に僕は落ちぶれた。
周囲がめちゃくちゃキラキラするような
エリートコースを歩みまくる中、
国立大学ですら行けなかった。

いわゆる「F欄」大学に行った。
もちろん全額負担ではなく、
特待生制度みたいなものを使った。

臨床心理士を目指していたのもあって、
大学では心理学を専攻していた。

しかし結局は、怠惰な学生生活を過ごして、
無駄にも思えるような
「学園祭実行委員」というものを
4年間ぶっ通しでやり続けた。

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 


もちろん、まったくの無駄ではない。
無駄なことなんて世の中にはないはずだ。

それなりに「上」に立つような経験も出来たし、
色んな人と繋がれたから、
結果オーライだったと思う。

 

就活もしくじった。
内定はもらっていたが、
勤務地の話で直前で揉めてパーになった。

それから、家電量販店の販売員を通算で
2年ほどやった。
途中で「電話帳営業」の仕事もしたけれど、
そこらへんから、少しだけ、
「観光」とか「地方創生」とか
まちおこし」みたいな仕事に興味を持ち始めた。

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

そして、今の仕事を始めたけれど。
正直いって自分の得意分野みたいなものも
うまく活かせるわけでもなく、
持ち前(?)のクズさも相まって
ヘイトを稼ぎまくった時代もある。

 

そんな仕事も
なんやかんやで今年で5年目だ。

当初、僕を育てまくったパイセン(男)も、
ここの仕事を離れて、今や別のとこで
めちゃくちゃチヤホヤされてるパイセン(女)も
みんないなくなって、今じゃ最古参になった。

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

少なくとも2017年の4月までは
振り返ればクソのような人生だった。

いや、クソのようにしてしまったが近いか。

ともあれ「残念な男」だったし、
ひたすらに陰鬱な毎日を過ごしていた。

 

きっかけは「バカ」をやっていたから 

そしてそんな、僕に転機が訪れた。

実際は2016年の夏には予兆があった「転機」だ。

 

ことの発端はポケモンGOだった。
当時、僕はポケモンGOのリリースを聞いて、
すぐさまに「これ何か出来ないか?」と考えた。

観光分野で活かせないか?と考えたのだ。
ネットを検索しまくって、
実際にプレイしたりして、
リリース翌日にはムックも作った。

 

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そして、これがどこからともなく
波及していって、結果的に
今のサイト管理人にぶっ刺さった。 

そして、10月頃だっただろうか。
僕自身も自分の本業での発信業務に
限界を覚え始めてきていた。

そんな最中、ライター募集の記事を見た。

これだ、これしかない。
そう思った。

僕はライターへの道を
踏み・・・ださなかった。

 

自信がなかったので、
練習がてらこのブログを立ち上げた。
文章や文体がエントリーによって違うのは、
試行錯誤の形である。

 

ライターの道は「私事」の意識だ。
実際、この年度は退職も検討していた。

ひと通り落ち着いて、
その年の2月に管理人とばったり会って。
(※初対面だった)

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 


なんやかんや5月になってから
ようやく1本目の記事を出した。

 

それがこれだ。

www.kagoshimaniax.com

 

・・・。
今だって、拙い文章だ。


ともあれ、間違いなく言えるのは。
きっかけは「バカ」をやっていたから 。
ということだ。

 

やり続ければ、人生は変わっていく


それから、ひたすらに記事を書いた。

ホタルの記事はタイムリーだったので
TVでも紹介された。
(サイト改修と重なって放送前日にデータが飛んだ笑)

www.kagoshimaniax.com

 

九州地方では有名な
ドォーモというロケの現場にも行けた。

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とにかく人生で積んできた
しょうもない経験や、
自分の持ってるスキルは
すべて積み込んだ。

 

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大手家電量販店の「中の人」にも
会いに行ってきた。
(企画書も出したし、本部ともやりとりをした)

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どんなメディアにも負けない速さで
戦いたかったから、予定稿だって書いた。

www.kagoshimaniax.com

 

とにかく毎月10本くらい。
なんとか時間を作っては、
色々と体当たりな記事を書いた。

やり方なんてわからないし、
バズらせる術もない。

もっと言えば、書いている記事を
シェアしてくれるような友達なんてのも
正直いないくらいには寂しいとこから
スタートだった。

それでも少しずつ、少しずつ。
僕を取り巻く環境が変わってきた。

「あなたがハヂメ氏ですか!」
みたいなことも増えてきた。


そして11月。

自分がノリで作ったハッシュタグがバズって
TV番組の企画になった。


twitter.com

もちろん、TVにも出た。

 

そのあと、僕は東京へ行った。
指を加えて、羨望の眼差しを向けていた
レジェンドクラスの方々にも「生」でお会いした。

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そして12月のアタマ。

ある話が持ちかけられた。

鹿児島で活動している「スゴい人」が
登壇してアツい話をするというイベント。

通称:「170人会議」の登壇だ。


こちらが所属媒体に書いたレポ。

www.kagoshimaniax.com

 
そしてこちらがブログに残した
個人の感想も多めに書いたレポだ。

bu-bu-karon.hatenablog.com


とにかく色んな人に会って、
色んな人と仲良くなった。

僕の狭くて暗かった人生が
少し?いや地方だから「かなり」か。
広く、明るくなった。

ついには雑誌にワンコーナーだが

連載を持てるようになった。

 

 

なんの経験も。
なんの努力も出来ないし、
才能なんてない僕でも。

ここまで来れた。
でも、まだまだだと思ってる。

しかし、一つだけ学んだことがある。

やり続ければ、人生は変わっていく(かもしれない)
ってことだ。

 

「転機」が訪れたのはいつ?

このエントリーは
りっすんのブログコンテストの
お題に沿って書いた。

 

でも別に大賞とかそういうのじゃない。
もともと、これは1年経ったら
書こうと決めていたことだった。

 ※半年のときも書いた。

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

さて。このお題には
「転機」が訪れたのはいつ?
とあるから、最後に少しそこにも触れたい。 

 

僕の転機はKagoshimaniaXに入ったこと。

でも、そうじゃないかもしれない。

エリートコースからの転落や
怠惰大学生活、就活の失敗、
仕事をすぐやめたことやら、
今の仕事での挫折感。

色んなものがそれぞれに
「転機」だったと思う。

もっと言えば、
今後も「転機」はあるし、
大小問わなければ、全てが「転機」だ。

だからきっと、このエントリーも
僕にとっての「転機」のひとつだ。

人が転機を話す時って、たいてい
その先に失敗とか成功とかの
「結果」や「変化」がある時だと思う。

 

「何かが変わるかもしれない」って
そんなわくわく感を持ちながら、
全てをいい方向に持っていけるような。

そんな「転機」をいっぱい迎えられるように、
ただ今を生きて行く。

それでいいし、
それだけでいい。

もっと、わがままを言うならば。

このエントリーをみて、
きっと、この駄文の何かが響いて
あなたが何かの「一歩」を、
「転機」や「起点」を、
迎えられたなら、僕は幸せだ。

では。

今日のところはこのへんで。