ゆとりのゆーとおり。

某ローカルWEBメディアでライターをやっている人間が日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。旧タイトルは「ぶーぶーの雑記帳」。ということでしたが、それの跡地になってます。

【4つの収穫】鹿児島未来170人会議(2018)に参加してきた【1つの後悔】

スマホで打ち込んでたやつを改変したものなので

見づらいかもしれないが、ご容赦頂きたい。

 

さて、興奮冷めやらぬまま終わりを告げた

鹿児島未来170人会議。
今日はそれをただひたすらに書いて行こうと思う。

 あと、途中でリンクをぼんぼん貼ってるが別に読まなくてもおkだ。
ちなみにこのエントリーもクソほど長い。
(クソほどヒマな時に見てもらえばいいし、さほど読まなくてもいい)

だって、これブログだから、ただの僕用の記録なんだもの。

 

 

豚の威を借る豚。

 

初めての参加にも関わらず、そして申し訳ない限りではあるのだが、僕は登壇者(プレゼンター)という光栄な立場を頂いた。

 

以前のエントリーでWebメディアのライターとして半年経ったと書いた。今はそうだ、大体に9ヶ月目くらいだろうか。ともかく言えるのは僕の人生における変化が始まって まだ1年にもなっていないということだ。

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

 

まぁそんな僕が登壇したのだが、

正直な所、威風堂々と語れるものもさりとてない。僕は其の媒体の威光を借りているようなものだ。豚の威を借る豚なのだ。

それ故にすべきことは、出来ることは本当にミクロなことでしかない。「異」であること、そしてインパクトを残すことだ。

故に極めて挑戦的に、個性的に、煽情的に語るほかに術がなかったのだが、ここについては本当にファシリテーターとして付き添ってくれたR氏を始めとしたスタッフの皆さんの助力に依るところが大きい。本当に感謝しかない。

 

ワークショップの中身を詰める最後のタイミングでR氏から聞かれた。

「与えるだけで得るものはありますか?」

「得るものがないのにいいんですか?」

 

これについては、それ相応の「それなり」の言葉を返して、R氏にも「まぁ、そう言うのでしたらいいかもしれませんね」くらいに納得を頂いたのだが、僕の中では「実り」の部分はそもそも参加・登壇という時点で満足なのだ。

 

 そのへんは

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 
とか、

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 
を見れば分かることなのだけれど、兎にも角にも僕の中では「170人会議」というものの「質」とか「空気」とか「価値」を身体に刻まればそれで満足に近かった。

 

「意識たけぇ・・・」とか「キラキラしてるぅ・・・」みたいな、これまでの自分の生き方と全く異なるものへの「物見遊山」であり、「挑戦」だった。

そして、最も僕の中でここは語っておきたいことだが、
「170人会議への参加者・関与者」に対して

えも言われぬ敗北感のようなもの

を感じてきていたのだ。

だからこその参加であり、そこをクリアするための登壇であった。

 

もっと言えば、僕の所属しているWEBメディアで先んじてライターをしていて、今は自分のブログサイトを立ち上げている某女子は、そういう意味で僕の登壇における裏スペシャルサンクスとも言える。

 

・・・というのが大前提になってくるのでここまでは前置きだ。

 

 

僕にとっての「170人会議 」はどうだったのか?

170人会議についてのレポをここで書くつもりはない。
僕の半身である「ハヂメ」として、しこたま書いたからだ。
(8000字近い駄文なので本当に読んでくれた方には感謝をしたい)

www.kagoshimaniax.com

 

もちろんにこれは「ハヂメ」として書いたのでネタ要素が多い。

さておいて、巻末にも少し触れていることではあるが、【僕にとっての「170人会議 」の収穫】ということをここで少し書いていこうと思う。


そして、遊びとして170人会議が「第4回目」ということに併せて、このブログでも4つに絞って書いていくことにしたい。

平たく言えば、 僕にとっての「170人会議 」はどうだったのか? である。

 

①ハヂメがハジメとして初めてマッチングした場であった。

先ずはこれだ。 僕はローカルWEBメディアのライターとして活動してくる中で色々な「収穫」を得ている。先ず言えば、色んな人との関わりも出来たし、記事の影響力で誘客を促進して感謝をされたり、自分のツイートからTV番組への企画化もあった。
憧れである「オモコロ」を始めとした憧れの大手WEB関係の人にもお会い出来たり、もう僕の人生は確実に変化している。言葉遊びをするなら2つの意味で「確変」だ。

しかし、それと同時に僕の中で「ハヂメ氏」という肩書はどこか独り歩きをしているような感覚があった。「ハヂメ氏」であって「僕」ではない。WEBメディアの媒体にある程度合わせてキャラクター性を持たせたのが「ハヂメ氏」であって、それからブレないようにいつも気を使って書いている。

 

実のところは、この登壇直前の12月末~1月の頭までは僕は本当に、そこの線引が怪しいものになってきていたせいで「スランプ」に陥っていた。書けども書けども、満足のいくものは仕上がらないし、自分のマインドと「ハヂメ氏」としての「個性」が合致しないし、文面や表現も然りに、チグハグ感が酷いものだった。もう何点・何箇所直したか分からないほどには、管理人からの鬼修正を受けている。

 
ああ、もう無理かなーやめてしまったほうがいいんだろうか~
みたいなことを真性の「構ってちゃん」ならツイートするレベルで行き詰っていた(=息詰まっていた)のだ。

 

結論から言えば、登壇に話す内容のベクトルとしても当初は「ハヂメ」としてではなく、僕自身のもので作っていたが、最終的には「ハヂメ」としてのものになった。

しかし、それは決してネガティブなことではない。ファシリテーターや某グラレコ御大のおかげで「ああ、どちらも僕なのか」と気付けたからだ。

僕自身は「ハヂメ」と違って変なところで生真面目(系クズ)だから、色々と考え込んでしまうし、ふざけきれない・・・というよりは、昔の僕の写し身が「ハヂメ」だとして色々と抱え込んでしまった結果が今の「僕」だ。 だからこそ、「ハヂメ」も僕の一面であり、さほど「遠い」ものではない。「無」から「有」が生み出せないように、「ハヂメ氏」の元(はじめ)が僕だった。それだけのことなのだ。

そういう部分で、それを気付かせてくれたファシリテーター(R氏)と某グラレコ御大(S氏)と、170人会議の黒幕(エアネスS氏)には感謝をしている。「否定」ではなく「肯定」から進めていくというスタイルがあったからこそ、「僕」はそこに気付けただろうし、多様性(価値感)を詰め込めた。

 

ゆえに、ハヂメがハジメとして初めてマッチングした場であった170人会議。

それに登壇して帰ってきた今。
「表の顔」と「裏の顔」くらいには使い分けや線引も出来ることには出来るし、自分の中での「ハヂメ」の位置づけにもしっくりきた。

これは今後の「在り方」においてめちゃくちゃ重要なことだと僕は思う。
本当に参加して得た一番の収穫だ。

 

②自分の価値を再認識出来た。

もう一つは「自分の価値を再認識出来た」ということだ。
あの170人会議の1日において、「自分やっていること」に価値を感じてくれている人がいるということを、本当に感じられた。もう個人ブログだから言ってしまいたいが、正直のところワークショップに関して言えば、僕のところは「めちゃくちゃバズっていた」のだ。全3回とも満席御礼だったし、空き待ちも発生した。

正直なとこ、「してやったり」感があった。

もちろんに登壇→ワークショップが上手くいったから、そして、僕の「やっていること」への価値や需要があったからこその結果ではあるのだとは思う。

 

しかし、その背景には僕が膨大な数のワークショップ資料を作り、プレゼン資料を幾度となく手直ししたからこと、そしてあのヘンテコなメガネをかけたこと、もう色んな要素があったと思う。もちろん、さらにその背景には上の①の要素があったからこそ成り立ったものだ。


そしてこの時点で僕は最初に解決すべきと身構えていた「謎の敗北感のようなもの」に一撃どころか、場外ホームランをかましてやった気分だった。

 

敗北を感じたから、こうやって登ってくるってサイヤ人っぽくないですか?
(どうでもいい)

 

ともあれ、極論で言えば

「自分の生き方」を肯定されたようなものだから、そりゃあ収穫も収穫だ。

 

③「ライター」という肩書きを背負う覚悟が生まれた。

3つ目は「ライター」という肩書きを背負う覚悟が生まれたということである。正直、そんなことを言われても意味が分からないと思うが、さらに加えていこう。

 

僕の背負う肩書は「ブロガー」ではない。ということだ。

 

ブロガーはブログを書く者であり、ブログとはウェブのログ(記録)だ。記録人・記録者 と言っても差し支えないだろう。ゆえに、何を書くかもその「記録者」の「記録したいこと」でいいとも言える。別にネコの観察日記でも思考実験の置き場でもいい、自分が望みさえすれば、ポエムでも小説でもイラストでも何でもいいのだ。


逆にそうではなくて僕が「ライター」を名乗るということの意味も説明する。

ライターというのはWriting(書くこと)をする者であり、ある種では「読み物」を書くスキルをつけることが必要不可欠である。正直なところ、自分の文章力はそこには至ってないし、名乗るのもおこがましい。

しかし、僕がこれを名乗ることを決めたのは「覚悟」でもある。

そしてもう一つ、これが一番大きな要素なのだけれど
僕は「ライター」という言葉に「着火するもの( Lighter)」としての意味合いも含めたいからなのだ。
ちなみに、タバコのライターを英語で言う時に
Do you have a light? (火をお持ちですか?) なんて言うのだけれども。

この「Light」という言葉には「光」という意味があるのは、義務教育課程を経てきた皆さんなら分かるだろう。

僕はそういう言葉の意味も含めて「光を当てる」ような、「火を点ける」ような立場にもなりたいのだ。
本当に「ライター」と言う言葉が「書き手」としてはもちろんに、「着火器」(話題的な意味で「火が点く」って言うことや、下手こいたら「炎上」するとこまで含めて)というのが、凄くしっくりくるのだ。

だから、僕は「ライター」を名乗ろうと思う。

一種の決意表明だ。

 

 ④来年もコミットしたいと思えるだけの満足感を得た。

①~③まででだいぶ僕が満足しているのはだいぶ伝わったと思うが、最後はこの「満足感」について少し記そう。僕は、感動的な場面やイベントというものが嫌いではないし、むしろ「好き」だ。
やる気もないし、だらけきった雰囲気をいつも醸し出してはいるが。

元々大学時代、4年間(人生棒に振るレベル)にまで、「学園祭実行委員会」に所属していたような人間だ。そういうのは「好物」だ。

だからこそ、「人の感情の起伏」や、「人の苦労の跡」が垣間見えるようなイベントは凄く好きで、逆に行政が毎年、相も変わらず惰性で仕方なくやっているようなイベントは、さほど好きでもない。

 

僕の中でこの「170人会議」は、もうなんというか。
「会議」という言葉よりは「祭り」という言葉が相応しく見えた。


今回の170人会議は、僕が大学4年の時、当時は大学1年生(他校)だった女の子が矢面に立って運営していたイベントだった。たまたま夏季(短期)のバイト先で、一緒だったというだけで、それ以上もそれ以下もないのだが、共通点があった。
互いにそれぞれの学校で「学園祭の実行委員会」に所属していたということだ。

いや、もしかしたら記憶違いで、あの子は所属していなかったかもしれないのだけれども、別にそんなことはどうでも良くて。

 

僕がその「イベント」に一番人生で関わって、情熱をかけていた時代に知り合った、あの子が矢面に立って挑んだ「イベント」だったという僕の主観的な「事実」が、僕自身にとって重要だったのだ。 

仮に、僕が人生における「先輩」であったからと言って、全くもって「縁」のない人間がこれを取り仕切っていたのなら、ここまで感慨深いものはなかっただろう。

 

もちろん、その分、僕も彼女に迷惑をかけたくはなかったし、
その分だけ真剣に臨んだつもりだ。(メガネのことは別として)


結果として彼女は「やり切った」のだ。

(と言うか、アフターまで含めて多分に「今日もやっている」わけだが)

あくまで僕の持論だが「やり切る」というのは凄く難しいことだし、その上で「結果」を出すのは凄く難しいことだ


そして、それに加えて僕のファシリテーターをして下さったR氏の「涙」。
これがめちゃくちゃ効いた。


自分自身が感動とは無縁な無機物くらいには成り下がっていると思っていたが・・・そういうわけではなかったみたいだ。
あんなものを見せられたら、昔の「血」が騒いでしまった。

ああ、これは来年も関わりたいなぁと。
今年、お世話になった皆さんへの恩返しをしないとなぁと。
意外と義理深いし慈悲深い人間だったわ、そういえば僕は。

この昔の僕が持っていて、忘れかけていた「感性」が未だに僕の中にしっかり残っていたことが、4つ目、最後の収穫だ。

 

来年もコミットしたいと思えるだけの満足感を得た。
これは、多分、大きなターニングポイントになる気がする。

 

僕にはこの「170人会議」で唯一の後悔がある。

さて、4つの収穫については書いた。
気がつけば、既に5,000字を超えてしまったクソブログ(クソ個人的記録)もそろそろゴールへ向かおうと思う。

僕にはこの「170人会議」で唯一の後悔がある。

 

それは「僕の4つの収穫を共有出来ていないこと」だ。

・・・とでも言えば収まりが良いのだろうが生憎にはそんなカッコよさやスマートさを僕は持っていない。

 

なるべく端的に表現するとすれば、ぼくの後悔というものは最初に抱いていた170人会議のプレゼンの構想に記していた「生き方の可能性」を提言出来なかったことだ。

僕は、いつからか・・・そう多分に
大学卒業後くらいで一回、混沌へと落ちている。

日の当たらない方向へと逃げ、日陰者として、光り輝く成功者を疎ましくも羨ましくも思いながら幾数年過ごしてきたし、そんな人生に満足しようと言い聞かせてきていた。

そんな僕がライターへと転身(追加パッチ)し、少しずつ「光指す方」に向かってきているわけだから、そういう「ネガティブな人生」を送りつつある人へのエールを送りたいというのが、僕の伝えたい原初のメッセージだった。


それを伝えられなかったことが「唯一の後悔」とも言える。

だがしかし。

僕は今回、得たこの4つの収穫のおかげで、更に「前」に進める気がしている。「後顧の憂い」を断ったのだ。だからこそ、もう少し前に進めば進むほど、この僕の「唯一の後悔」は語る時の信憑性や信用性も増してくるはずだ。

 

そのうち話す機会も出てくるだろうし。
別に僕に限らず、このWEBで活躍する人のスタートラインは「挫折」であることが多いのだ。(これ意外とあるあるなのかもしれないよね)

だから、もう、今日のところはこのへんでいい。

まとまりがなくなって来てしまったから
無理やりに〆させてもらおう。



それでは今日のところはこのへんで!
ハヂメ氏ことハジメでした┏○┓(ズサーッ