年をとったと感じた理由がセンシティブィティだった!って話。
おはようございます。(いや、おはようございますではないか)
アローラ、どうも私です。
Facebookに書こうと思ったのですが、死ぬほどこれ長くなるなと感じたので今回はブログに書くことにしました。
30を前にして、最近、老いを感じてきました。
目はかすむ、身体が重い(デブなだけ)、オールがキツイ。
疲れがとれない・・・など色々とあるのですが。
こんなのはちょっと「だるいなー」「きついなー」の延長線で、何とかなる部分だと思うんですね。どちらかと言えば「感性」の部分に一番「ああ・・・」と絶望をするんですね。そのTOP3を書いてみます。
【第3位】怒ることを諦めている
かれこれ数年前からこの事象に陥っているのですが、「怒る」ってことに割くエネルギーを、リソースを無駄だと感じるようになってしまったんですね。
「まぁ、うん腹立つけどしょうがねぇべ」と思うことも増えてきました。
もちろんに
「ディミッツ!サノバビッチ!」くらいには思うのですが。
わりとすぐに落ち着いてしまうんですね。耐えたほうが早いし、楽だなと。
無闇に揉めるより、流されたほうが楽だなと。
自分でもどうかとは思うんですけどね。
まぁでも、よく言われてきた「怒られているうちが華」とは良く言ったものです。
「本当にアナタのためを思って~」みたいな理論は怒られている側からすれば、
(゚Д゚)ハァ?ってなるんですけども。
(大抵、これを説教中に挟んでくる人(特にヒステリックBBA)は、自己正当化のために言っているようなケースが散見されるから苦手だ)
自分がそうなってから思いましたが、大人になると怒る時間とリソースが無駄と判断する人も増えるんでしょうね、というかすごいエネルギー使うんですよね。
毎日イライラして説教してる人は凄いね、エネルギッシュだね!!!
むしろ、怒るたびにこっちからエネルギー吸い取ってるね!!とんでもねぇな!!
まぁ、このへんはこうなるまで考えたことがなかったです。
怒ってくれる人には感謝しなきゃね。(※但し、本当に人のための説教に限る)
※激情型のお叱りタイプについては、借金玉さんの話がすごく「なるほど~」と思ったので、そちらもぜひ読んで頂きたいところです。
【第二位】説明のつかないことへの理解が出来なくなってきた。
わりと元より、そういう嫌いがあったんですが、
本当に最近、説明のつかないことへの理解が薄まってきました。
「なんかよくわからんけどイイね、これ」とかそういうのが減りました。
もちろん、受け取り方の部分でもそうなのですが自分からの発信においてもそうなってきています。◯◯だから△△だ、と言わないと気がすまない。
「なんでこうなるんだろう?」って部分に対してある程度の答えを求めてしまう。
納得しないと気が済まない。それもなるべく説明がつくようにしないと気がすまない。
って感じなのだ。少なくとも、このノリではなくなってしまった。
これは本当に良くないと思う。
上と少し重なってくるが、「なんでそんなに怒るのかがわからない」レベルの理不尽極まる八つ当たりなど喰らうと殺意すら湧く、しかし怒る気力はない。
もう帰って寝たくなる。それか今すぐ天変地異でこの世界ごと終わってくれと思う。
昨年の夏、明らかなオカルト案件に見舞われたり、知人の別人格(ガチで記憶のないことらしい)とか、色々と説明には不都合のつくような要素しかない問題に対しても「〇〇があったから~」とか「だから〇〇してみて対処する」とかそんなレベルで考えてしまうようになった。そして一番タチが悪いのが、私自身の人間性・知識・経験則も全く足りていないのにも関わらず、それなりの「答え」や「理由」を求めてしまっていることだ。頭の悪い、頭でっかちキャラみたいになっている。
素直な感性をどこかに置いてきてしまったのだ、子供の時のような感性を。
【番外編】めちゃくちゃ涙もろくなった。
そのくせ良く泣くようになった。如何にもな感動的なものでなくても泣くようになった。それこそ、君の名はの映像美でも泣いたし(しかも最序盤で)、この間は千と千尋の神隠しの冒頭シーン(引っ越しのやつ)だけで泣いた。もっと酷いのは、隣のトトロのDVDジャケットを見ただけでEDの「おかあさん」を思い出して、泣いた。
※参考画像
涙腺というか涙のスイッチがぶっ壊れている。感性ではなく理論で生きるようになってきているという中で本当に気持ちが悪い。これだけどんどん鋭利に、敏感になってきているのだ。というわけで番外編でした。
そしていよいよ次は第一位です。
【第1位】におい(嗅覚)で思い出が出てこないことに気づいた。
そのまんまである。匂いを嗅いで、思い出を引き出すことが出来なくなったのだ。
これに気付いた時、本当に絶望した。
アカデミックに言えば、「プルースト現象」が減ってきているのである。
というか本当にない、かれこれ数年ないのだ。
プルースト現象などについては、以下の記事も読んでみて頂きたい。
数年ないと書いたが、何も全くないわけではないのだ。
あるとしてもロクでもないものしかないのも悲しい理由のひとつなのだ。
例えば、
食えないキュウリの漬物を食わされて泣いて吐いた、あの夏の日とか。
食べれない、ちらし寿司を延々と扇ぎ続けた、あの春の日とか。
そんなロクでもないものしかないのだ。
匂いで直接、思い出すことは凄く鮮明でくっきりしている。
例えば、雨が降る前の特有のあのニオイも、よく部活の練習のときに嗅いでいたニオイなのに、いまいち結びついてこない。
それが出来ない、このモヤモヤ。
ああもうこれは年をとったってことなんだろうな、そうだ、そうに違いない。
というわけで以上僕が年をとったなと感じるのは体力などの肉体的な部分よりこういう精神的な、感覚的な部分だ。 少しでもシンパシーを感じてくれる人がいたら嬉しい。
ああぁ、感性を高めたい。