私、仕事をやめます!と思った瞬間が叙情的だったから語るよってハナシ。
今日は自分語りで御座います。
タイトルの通りに「私、仕事をやめます!」と思った瞬間について語ります。と言っても、今の仕事の話ではなく前職をやめるキッカケのお話です。
前の前の仕事のお話
この話をする前にそもそも前の前の仕事のことから話さねばならない。
私は大学卒業後、就職が決まらなかった。いや厳密に言えば、内定を貰って「いざ!入社!」というときの辞令交付のときに揉めて、ぎりぎりなタイミングで内定を蹴りとばしてしまったから決まらなかったのだ。
内定もないまま卒業したため、仕方なしに私は繋ぎの仕事を探すことになった。
諸々とあった後、結果的に私は自分の家から5分とかからない超近距離な店舗で、販売員をやることになった。
業務自体は学生時代に派遣でやっていた内容とそう変わりがないものだったので、全く苦労もなかったし、むしろ楽しかった。
契約が取れるから~といった部分よりはむしろ環境が良かったから楽しかったのだろう。非常にアットホームな雰囲気で仕事が終わってからのプライベートでも良く遊んでいた。今思い出しても良い職場環境だったと思う。
しかし、僕の中ではどうしても「定職に就かねば」という焦りがあった。
実際問題、わりとレールに沿った人生を送ってきた人間だったから、定職に就けてないというのは僕の矮小なプライドを踏みにじるには十分な問題だったのだ。
別に待遇や環境に不満はなかった。ただ、本当に只の「正社員」の肩書欲しさのためだった。働いて1年近くなった頃、僕は無理やりに仕事を決めて、その職場を去った。
前の仕事のお話
そんな理由で、僕は次の仕事に就いた。
その仕事は「電話帳の営業」というものだった。ご存知の方もいるだろう。
多分に漏れず、私は定職欲しさに地獄への門を開けてしまったのである。
もちろん当時の自分はそんな身構えなどはなく、楽観的だった。
ねんがんの 広告営業 だ! わーい! わーい!
本当にこんなノリだった。
業務初日、OJTと言えば聞こえの良い、先輩社員への同行だった。
ただただ暇な日だった。先輩社員には営業のテクニックも糞もなかった。
ルート営業なのと業態特有の「作業感」が先輩からも伝わってきた。
「あーマズったな、これは」と内心思った。
別段に、希望を抱いていた訳でもなかったが、そんな日々が一週間は続いた。
潰れそうな、週に1人くるかこないかの小さな昔ながらの理容店の店員に頭をぺこぺこと下げて、無理くりに諦め半ばにハンコを押させた光景を見ている時にはだいぶ心が傷んだ。そもそも電話帳に載せているようなところは昔ながらのお店ばっかりである。
もう昔ほどの繁盛もない、寂れた商店街などはハイエナスポットとでも言うのだろうか、とにかく潰しまわっていた。これにも心が傷んだ。
年間5,000円とかその程度である、それでも仕方なしに載せるその姿は本当に申し訳なさを感じた。この人達は5,000円の粗利を生むのにどれほど苦労しているのだろう、そんなことを考えるほどには悲しくなった。
そして、研修期間(3日間だった)が終わって独り立ち。
僕はどちらかと言えば、ひとりひとりと親身に話すようにした。
これも一つの術ではあった。他の人が事務的にこなすのならば、それだけ親身になれば少しは好感の一つも貰えるだろうと。しかし、事務的になるのは当然とも言える、何故なら同じお店を来年担当出来ることなんてないからだ。それは事務的にもなるだろう、何せ件数至上主義でその経緯は関係ない、それがその世界のルールだからだ。
しかし、私はそれが嫌だった。接客業あがりだったというのもある、本当に親身になった。営業車を見るなり、「帰れ!」と罵声を浴びせられることもあった。
可能な限り、理由を聞いたし誠意を尽くした。
契約を貰えば、即退散!な連中(先輩社員の方々)になるのは嫌だった。
実際問題、とても可愛がってもらえたし契約もそれなりに取れた。
幾つかは引き継ぎ案件で他の人に振られることもあった。この業務はローテーションでエリア変更がある。僕を気に入ってくれた人が、僕でないと契約しないと言い張って、配置を戻されることもあった。
そして、およそ2週間目くらいのこと。
僕はよくわからない感覚に陥って営業車で泣いた。
別に失敗続きだったわけでもない。本当によく分からなかった。
メンヘラになったのか?とさえ思った。
「島はドル箱だ」「病院はA面カタい」
こんなことを平然と言う人に呆れてしまったのだからなのか、ただ心が疲れてしまったからなのかは分からない。とにかく凄く悲しくなったのだ。
ちょうど奇しくもその日は後輩の大学の卒業式でもあった。
そして、ふと窓の外を見やると桜と野花が咲き誇っていた。
「きれいだなぁ」と思った瞬間に、気づいてしまったのだ。
「このままでは綺麗なものを綺麗と思うことのない人間になる」
「このままではふとした機微に気付けない人間になる」
翌日、僕は仕事をやめた。
今の仕事の話
僕の今の仕事の原点は、その僅か3週間ほどの糞のような日々がきっかけだ。
田舎、過疎化、寂れてしまった商店において「本当に力になるには?」と考えるようになっていたのだ。あの、先輩社員が1時間近くの押し問答の末に契約させた、あの理容店のおばあちゃんや、寂れた商店街で菓子屋を営むおじさんの顔、とても親身になって飲み物までくれた金物屋のオジサン。彼らの顔と、あの野花が僕の原点だ。
僕は地域を活性化させるだなんて大それたことは出来ないし、それを指導していけるような立場でもない。経験も知識も足りていない。
それでも、自分に何か出来ないか。を模索し続けることが出来るのが今の仕事だ。
天職ではないが、主義には反していない。
決して満足のいく仕事ぶりでもないし、成果も出せていない。
暮らしも裕福でもないし、むしろ苦しい。
大変なことばかりだ。それでも僕はたまにこの風景とあの「顔」を思い出す。
だからこそ、頑張らねば、何かやらねばと思うのだ。
というわけで僕は、花を見て仕事をやめた。というハナシでした。
ちゃんちゃん。