ゆとりのゆーとおり。

某ローカルWEBメディアでライターをやっている人間が日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。旧タイトルは「ぶーぶーの雑記帳」。ということでしたが、それの跡地になってます。

無料の概念の裏側を知らないと価値を認識出来ない

タダより高いものはない、というのは実に良くできた言葉である。

 

オープンソースだったりとか、サンプリングだったりとか、まあかくいうこのブログだって無料で出来ているわけだから、 世間はいつの時代からか良く分からないくらいに「無料」で溢れている。とにかく「無料」の「サービス」が溢れてる。なんだこれ、福祉か?福祉の範疇なのか?

 

 

さておいて。

逆説的に価値のないもの(orなかったもの)に価値を生み出すブランディングなんかも昨今は凄く重要視されているように思える。まぁこの話も少し今回のエントリーで関わってくるから頭の片隅にでも置いておいて欲しい。

 

まぁ、とにかく。

そんな無料で出来るものが増えてきているからこそ、無に価値が増えてきている時代だ。時代とともに価値観が大きく変わってくる変遷期、とでも言えるだろか。

 

最近、とても思うのが「価値観」をそのトレンドないし時代的に確りと見据えることの重要性だ。

 

その点で僕が最近、少しだけ意識していることが、特に「無料」コンテンツの裏側に明言されてない「価値」を認識しようすることだ。

FacebookだったりTwitterなんかのSNSは、実際のところ広告収入だったりが、提供側にとってのメリットであり、ビジネスモデルな訳だから「無料」で成り立っている。

 

ソーシャルゲームの基本無料なんてものは有料コンテンツへの射幸性をじゃぶじゃぶ煽って課金してもらうことで金を稼ぐビジネスモデルだから、「無料」で成り立っているのだろう。

 

こんな事を考えていると、サンプリングだったり、なんだったりそれぞれに「無料」でやることに対して「それなり」の理由がある訳だ。つまりメリットありき、もしくは、とるべきリスクがあってやっている事だと思えてくる。

 

で、だ。

 

よく「イラストレーター」さんや「絵師」さんに無料orはした金でモノを作ってくれという依頼が、めちゃくちゃ世間でクリエイターさんが警鐘を鳴らしているにも関わらず、未だに起き続けている。みんな「好き」で「好きなもの」を表現しているだけだったりとか、広報活動の一貫としてやっている・・・というようなものでしかない。だからまぁ「無料」のところ(SNS)で活動していると、そこらへんの「価値」の認識が出来ないバカもいるのだ。

 

なにぶん、ネットに限った話ではない。

現実にもそんな感じのことはごまんとある。

僕だって少しパソコンを扱えるせいで、やれチラシを作って欲しいだの、年賀状データを移行して欲しいだの、Facebookのアカウントのパスワードを解明してほしいだの、Amazonで代わりに注文して欲しいだの・・・こういった案件が死ぬほど来る。
特にご老人方からこういう依頼がくる。

 

 クソが!!!!!

 

と思いながら、やり方を教えるのですが、
「覚えなきゃいけない」とか「まぁ若い人がやってくれるから」みたいな謎の怠惰性が作用してるのか知らないが、まぁ覚えないこと学ばないこと。

 

いわゆるナレッジとかノウハウ的なものにもきっと価値はあって、
それが組織として運用する分には無償でいいのだけれど、
個々人のやり取りでは、ある程度価値を見出していいと思う。

 

というよりは「金」が貰えない場合には、何を得れるのかを考えた方がいい。

 

1番わかりやすいのが「金」だ。

義理や人情なんかが「金」の変わりになるとは限らない。というか割と人を見極めて奉仕をしなければ、作った「貸し借り」は下手すりゃ一生かえってこない。そんな時代は割と終わったかもしれないのだ。

 

何故そんなこと言うんだ薄情者!!

って未来が先細りのように感じる「絶望」を僕が感じているからだ。恩を返さないというのがダメだと言うことはわかる。義理も人情も尽くしたいけど、そこに至ることが正直なとこあまり自信が無い。

逆に言えばこいつは「恩」を返せる!と周りから評価されれば、いくらでもリソースがぶち込まれていくというのも一つの解だと思う。

 

逆にめちゃくちゃ厄介なのが、アレだ。

地域の狭いコミュニティでの謎奉仕だ。あんなものを頼んでくる奴(特にご老人様方)は最早「借り」を返すより先に御陀仏になりかねない。というか返してきたとしても、リボ払いの最低額支払いコースだ。どんどん借りたそばからツケを増やしていきかねない。

(もちろん返してくれる人はいるから、そこの見極めは必要不可欠だ)

 

兎にも角にも。

サービスの強要(しかも無償)は

どうしようもなくクソだ。

それを受ける裏側が「善意」であることを理解して欲しい。仕方ないというよりは、それ(受けるという選択)しか仕方(選択肢)がないだけなのだ。

もう一度言う。

サービスの無償強要はクソだ。

 

本来、そのサービスはマネタイズ出来る可能性があるかもしれないのに、そのクソ奉仕のせいで「価値」を下げてしまいかねない。いや、違うか、デフレみたいなもんか。

 

もちろん、無償化することで利益を生む方法もあるわけだから、一概に無償化が悪いって訳では無いはずだ。

 

というよりも逆に

なんで無償でサービスしてくれるんだ?とか

これ無償でやるメリットあるのか?

とかそういう裏側まで考えた方がいい。

 

その裏側にある価値を認識できてこそ、

はじめて「タダより安いものは無い」が身に染みる。

 

 

・・・と

ソシャゲ沼にはまった知り合いと。

地域で善意に付け込む悪いご老体を見て

考えさせられた人生でした。