ゆとりのゆーとおり。

某ローカルWEBメディアでライターをやっている人間が日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。旧タイトルは「ぶーぶーの雑記帳」。ということでしたが、それの跡地になってます。

どうぶつの森ポケットキャンプは現代社会の縮図みたいで心が折れた。

どうぶつの森ポケットキャンプというアプリがある。

超有名ゲームのアプリ版だ。

ん?????

 

ああ、そうか。
どうぶつの森」というそもそもから語っていかねばならぬか。

 

どうぶつの森シリーズ - Wikipedia

ざっと掻い摘んで話すと、
プレーヤーは町or村の住人として、住民(どうぶつ)と仲良くやっていく。
箱庭ゲームみたいなものだ。
大抵の作品では、いきなり売られた「家」のローン。
そして挙句には「借金返済」のために「島」にいって、
高いサカナやムシを乱獲して、売りさばくという謎スパイラルが発生する。

そんなゲームだ。

で。

どうぶつの森ポケットキャンプというアプリ。

実際やっている人もちょくちょくいるし、
もうやめた人も結構いる。

どうぶつの森ポケットキャンプは地獄のようなゲームだった。

大きく括ると、以下の5つが地獄だった。
(だいぶ今は改善されている模様)

 

①作業が地獄である
②サカナ・ムシが売れないし、経済回ってない。

③創作意欲を爆発させられない

④どうぶつにコキ使われる

⑤そもそも目的がなくなってしまう

 

作業が地獄である

このアプリは地獄である。
住民のご機嫌をとりつつ、

住民の欲する者を用意してあげるだけ。
そんな人生(セカンドライフ)が待っている。


ムシやサカナをひたすら取り、
落ちている果物や貝殻を常に持ち物上限ぎりぎりまでストックし、
それをいつでも渡せるようにしておく。

 

対価は、まぁ向こうの気分次第みたいな感じだ。
(※実際はある程度レートが決まっている)

 

最終的に僕らは何をやっているんだろうか?

という気分になる。

 

人間社会に疲れるから、こういうゲーム(箱庭)で
別のコミュニティを楽しんでいるはずなのに

やっていることが機嫌伺いと接待なのだ。

 

そう考えたら、わりかしクソに感じてしまう。

 

②サカナ・ムシが売れないし、経済回ってない。

このゲームではシリーズを通して、
「お金=ベル」というように表現される。

このベルを稼ぐために鬼のように、
ムシやサカナ、掘り出したハニワ、収穫した果物を売り捌くのだ。

 

大抵のシリーズではムラに、
タヌキのような商人がいて、
そいつに借金を返すために、
「モノ」を売る。

つまり、狸商人は「モノ」を得ながら
実質上、ベルを手渡しつつ、これが借金返済になるので
ベルについては実際、プラマイZERO。

つまり、ほぼほぼ仕入れ0でモノを得ている。
最終的にムラには不似合いなデパートも建つ。

・・・で、このポケットキャンプ。
実質、モノを売る方法がない。

あるにはあるのだが、バザーという乞食商法か、
住人の気まぐれで買ってもらうしかないのだ。

恐ろしいほどに「金」がたまらない。

今回は家の代わりにキャンピングカーや
キャンプ場の増築をするのだが、
借金が返せない。

お金が全然たまらないから
好きな家具も買いきれない。
洋服でさえも、心向くままには買えない。

洋服や家具もカタログ通販とかじゃなくて

「素材くれたら作ってやるよ!あと金よこせ!」

 

・・・金がない。

挙げ句の果てには今作では
採掘場に日雇い労働をするバイトがあって・・・。

 

なんだか、
やっていて地下帝国に落とされた気分になってしまう。
マジでワーキングプアなのだ。

欲しい服も買えないし、虚栄心は満たされることがない。

 

キャンプと言う名のタコ部屋のような感じだ。

経済がうまく回っていない。

 

地獄の沙汰も金次第というが、この地獄にはカネがない。 

③創作意欲を爆発させられない

過去シリーズでは、自分で洋服や壁紙をデザインして作ることが出来た。
これのおかげで、大抵に「どうぶつの森」は
クリエイター気質のプレーヤーにとって
「表現の場」になっていた。

かくいう僕も鹿児島どローカルの
ご当地ヒーローのコスプレを作っていたくらいだ。

 

しかし、今回のキャンプ場にそれはない。
楽しむ余地などないのだ。

 

ただただ、このキャンプ場(タコ部屋)で
地獄のような作業を繰り返す他ないのだ。

 

そして更に。
次の問題にぶち当たる。

 

④どうぶつにコキ使われる

①でも書いたことではあるけど、そもそもこのゲームは
4割が収穫で5割は「どうぶつ」の接待だ。
1割は自分の洋服とかそんなメンタルヘルスに当てたまえ。
(※1割くらいにしとかないとすぐに金はなくなるからね。)

そして、何より。
この我々が接待する相手がクソなのだ。
クソ動物だ、畜生だ。

 

目の前にあるサカナを取らずに、「〇〇が欲しい」

目と鼻の先にあるフルーツを取らずに、「〇〇が欲しい」


他のマップ(秒でいける)にクソほど落ちてる
貝殻を拾いに行くことなく、
「〇〇が欲しい」

 

老人の介護でもしてるのか?

という気にさえなってくる。

 

老人のワガママを聞いては、
機嫌を取って、お小遣いをもらう。

 

「キャンプのために一生懸命でえらいよね!」

➡100ベル

 

いい加減にしろよ・・・この畜生が!!!

となれば、もう気は楽になる。

二度とログインしなきゃいいのだ。

 

そうならないと、次のステップに陥る。

地獄がまだ続くのだ。

 

⑤そもそも目的がなくなってしまう

このシリーズには明確な目的はない。

ユーザーそれぞれがやりたいことを、
箱庭で満足するまでやる。

 

そういうゲームだ。

 

このクソキャンプは、いまいちゴールが作りづらい。

「車を・・・車をよくするんや!!」

「キャンプを発展させるんや・・・!」

「〇〇さんに気に入られるんや!!!」

 

色々とゴールに設定できそうなものもあるにはある。

あるのだが・・・まぁ。

それまでの道のりが前述の①~④のせいで苦行過ぎるのだ。

 

こんなことをやるなら三蔵法師とGO! WEST!した方がマシだ。

まだ、それなりにご加護があるレベル。


設定目標にたどり着いたとしても

「あれ・・・俺なにやってたんだっけ?」となりそうなくらい
心が折れそうなゲームだ。

 

僕は折れたぞ。

 

どうぶつの森ポケットキャンプは現代社会の縮図みたいだ。

何が言いたいのかっていうと、
本作:どうぶつの森ポケットキャンプは。
わざわざ「楽しみに来て」たり、
「目的を持って来て」いるユーザー目線を置いてけぼりなゲームなのだ。


このゲームは、限界集落の「まちおこし」だ。

ポケットキャンプという名の限界集落みたいな所を
まちおこししつつ、住人の機嫌をとるゲームだ。
もちろん、限界集落だから経済も回っていない。

たまに来る、隣の限界集落の若手(ユーザー)と
一緒に無理矢理に経済を回すのだ。

そうそう、住民(どうぶつ)の移住促進もする。

最近のアプデでは植物の品種改良もするらしいし、
なんかもう、これを見ていると・・・

 

地域おこしの現状のマイナス部分を
否が応でも目の当たりにさせられている気分。

どこがゴールなのかも分からず、必死にやるような。
地獄のような環境の「地域おこし」感があるのだ。

 

もちろん、地域住民(どうぶつ)から
もてはやされたり、感謝はされるし、
微量な対価(ベルや素材)も貰える。

 

ぶっちゃけ、地域おこしってこんな感じだ。

イメージの何倍もキラキラではなく
ドロドロとした混沌とした感じだ。

 

いまんとこ僕には
どうぶつの森ポケットキャンプを
淡々とやりこなせるだけの許容量はない。

 

飽きやすいし、

地域おこしはリアルだけで十分だ。

リアルさえ、ままなってない。


そして、地域おこし(ポケットキャンプ)が
盛大に皆さんから飽きられて
「もうやっていない」という現状。

なんかもうそれが
地域おこしブームの継続性の微妙さ的な。

どうぶつがのさばるような、この空気感。


なんかもう現代社会の縮図を感じるから・・・
もうねぇ。

心が折れた。

 

それだけだ。