とりあえず右足のすね毛を剃るところから。
23時。大抵の場合、僕はみすぼらしいまでに水カビが生えて黒ずんだ浴室にいる。
大体はいつもこの時間に風呂に入るのだ。
そして、食事を済ませてから、25時くらいまでダラダラとしている。
それが僕のライフスタイルだ。
今日は少しだけいつもと違ったから、この余暇時間を使って糞のような文を紡ぐとする。
(閑話休題)
だいぶ前のエントリで「キラキラしている人たちの集まり」に参戦したというような話をした気がする。いや、まぁ兎にも角にも、それは、意識の高い方々の集まりだった。
そんな彼らの共通項とも言える、ターニングポイントというかイベントが一つあって、それが、こう僕の中では「キラキラ」している人達の自信の源みたいに見えていた。
イベント名が人数で括られているネーミングゆえに、僕からすれば、参加した人たちが、「選ばれた人たち」感で、とてもまぁなんかキラキラしているように見えた。
そもそも、そういうものとは無類の存在として人生の底辺の暗夜行路を黙々と寡黙に伏して生きるつもりであったからだ。
(中略)
まぁ、そのイベントが今年もあるのだ。
去年の中旬くらいから僕も一つの肩書きを得て、ぼんやりとその提灯を掲げながら約半年、ひたすらに先の見えない光の道を歩いてきた。というよりも夜目で鳥目なのだろう、そこまで眩しくない道だったかもしれないが、もう僕の中では全て、目眩がするほど眩しい光景ばかりだった。
そして、何の因果か、そのイベントに僕も関わることになった。 いや、「なった」というよりも「した」のだ。最終決定は自分で行ったし、何よりこれは自分の選んだ道である。
しかし、相も変わらずに「前」が、とても輝かしいものだ。ゆえに前は見えていないし、この道がどこに続くのかもわかっていない。
そんな輝かしい場に、日陰者が立つのだ。
無理も承知で立つのだから準備を進めているが、とてもじゃないが分不相応で、今までのように「それなり」に「卒なく」普通にやれることではない。
(中略)
そんなこんなで自問自答をしている。
「やる」のか「やらない」のか
こんなことは答えは出している。
「やる」のである。
やり始めた以上は「やり続ける」ことしか道はなくて、それ以外は「中途半端」なのだ。
今は目が慣れるまでやり続けるべきだし、いつか光が差す方に立ち、背中に後光を背負えるようになるためのレベリングである。
そんなことを考えているうち、気が付いたらか僕は右足のすね毛を全て剃っていた。意味は無いし、なんのセルフケアにもなっていない。
きっと、全身がツルッツルになる頃には、僕はこの黒ずんだ風呂場も綺麗にしているだろうし、暗がりの中からも出て、心も体も解脱するような気がする。よく分からないけど、そんな気がするのだ。
だから今日は。
とりあえず右足のすね毛を剃るところから。
始めていきましょうか。
よく分からないしことだらけだけど。