ゆとりのゆーとおり。

某ローカルWEBメディアでライターをやっている人間が日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。旧タイトルは「ぶーぶーの雑記帳」。ということでしたが、それの跡地になってます。

どうぶつタワーバトルをやると自分の人生のダメさに気付くかもしれない。

アローラ! 私です。

最近の私は、「アローラ」とか言いながらウルトラサンムーンほっぽりだして、スプラトゥーンやソシャゲに精を出しているダメな人生です。マジでウルトラクズ。

 

さておいて、最近流行りのアプリにありますよね。

そう、どうぶつのアレ。

うん、そう「どうぶつ」のアレだよアレ。

 



決してマグロやムシキングを求めて彷徨って、そんでもって友好度を高めた「どうぶつ」からモノを搾取していきつつローンを返済するあのゲームではないです。

 

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そう、「どうぶつタワーバトル」である。

 

もう、やったことのない人に説明をしていくと。
とにかくこのアプリは今話題のゲーム。
めちゃくちゃ簡単な操作で楽しめることと色んなカオスな要素が相まって、とにかく人気なのである。

 

 

まさかの1位。

 

なにがじわじわくるって、「どうぶつ」を積み木のように積み上げていくだけなのだけれども、抽象化したイラストとかではなくてガチッガチの「どうぶつ」の実写のモノを積み上げていくこと。

 

 (これは製作者による開発段階の映像(ツイート)です)

 

しかもこれが「レート制度」を採用しているのだからもう凄まじいし、やはりゲームだけあってめちゃくちゃ考察が成されている。

 

 

もう意味がわからない(褒めている)

 

実際、僕もインストールしてやっているのだけれどシンプルな操作性・ルールも相まって地味に楽しいし面白い。全国(世界中?)の人とマッチングしていることも、冷静に考えると面白いと思う。

 

で、タイトルの話に戻る。

 

どうぶつタワーバトルをやってると自分の人生のダメさに気付く。

 

である。

 

不安定な動物が積み上げられている要素を見ていると、まるで自分の人生のようかにも感じてきたのだ。 とても不安定、そして意図せず組まれる足場。バランスを崩して・・・どんがらがっしゃーん。 

 

建設的な人生を送ってきていないので、僕は大抵こんな感じだ。だから、「無理」に積み上げていくと崩れることも重々承知。

 

「攻め」の姿勢は僕には皆無だ。

(いわゆるアレだ、逆ゾウを置くような姿勢だ。)

 

このゲームをやっていくと、コツコツと積み重ねていくことが「どれだけ難しいか」を痛感出来る。意図せず、ひっくり返ることなんてザラにあるし、ある程度はテクニックというか定石も在るのだけれど、やっぱり運の要素が強い。

 

で、これで負けるやつが何と言うか。

「マジ運ゲー」「クソゲー」と。

 

人生も大抵そんなもんだ。運ゲーでありクソゲーだと思う。

例えば、自分のやりたいことをやって、それが失敗したり周囲から理解を示されなくて。それで自分の足場がグラグラと揺れるとしたら、それは「積み方」が悪い。もしくは「運」がなかった。こうなるのだろう。

 

でも、かと言って安直に反発したり、周囲に糞便を撒き散らす勢いでギャーギャー言うのも違うと思う。ひたむきに積み重ねていって、なんどもグラつきながらそれを補正する「技術」や「忍耐力」が必要なんじゃあないか。

 

ある種では先日に書いたこの記事とも重なる部分があると思う。

 

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

失敗したりしてもいいんだけども、安直に「理解されない!」「合致しない!」ことを相手方のせいにするのは成長性がない。僕にとって究極のダメな方向性は「否定」だと思っている。まぁそういうときは「否定はしないけど、理解できない」というくらいの大人になりたいなぁと思っている。もちろんに、その過程の中で相手の方が「理解してもらう努力」を怠っているのならば、逆にこちらが「理解しようとする努力」を怠っているのならば、それはもう話にならないのだけれど。

 

理解を得たいなら、理解を得られるだけの度量が必要になるし。そこで理解されずに折れるとしたら、戦略的撤退なのか、それともガチの敗北なのか。そこの線引は自分の中でキメておいたほうがいい。とはいえ言い訳のように「これは戦略的撤退なんだから!」っていつまで経っても言ってるやつは論外だ。

悔しかったら、その分伸びて見返してみろという話。僕はそんなことは全く望んでないので、虐げられたままでいいかなと諦めている。その間にコツコツと足場を固める「努力」をしたい。

 
はてさて、もうすぐ平成も終わるらしい。

ゆとりのゆーとおり。というブログタイトルのように僕も平成生まれだ。ある意味では「昭和」の人たちから「子ども」とか「弟分」とかそんな感じの立ち位置に甘んじてきた。とはいえども、平成ヒトケタ世代の大半はもう、20歳。成人を迎えるし、社会に投げ出される。そろそろ「大人」にカテゴライズされてくる。

 

大人・・・。

 

随分と僕のイメージしていた「大人」の像とはかけ離れているのだけれども、まぁそれでもやっていくしかないんだよなぁと最近考える。

 

そう、そんなことを言いながら、

僕は「どうぶつタワーバトル」に30歳目前だというのに。

アホなことに人生の貴重な時間を割いている。

 

という話。

 

ああ、自分はダメだなぁ。

 

とか言いながら今日も今日とて現実逃避。