ゆとりのゆーとおり。

某ローカルWEBメディアでライターをやっている人間が日常を切り取る(=意識高い)ことを意識低めでやるブログ 。旧タイトルは「ぶーぶーの雑記帳」。ということでしたが、それの跡地になってます。

Webメディアのライターになって半年くらいになったのだけれども。

だけれども!!!

 

 

あまり、タイトルとは関係のないハナシをする。

 

「歯車」であり「ピース」だから噛み合わないこともある。

 

よく、社会的な物事において一個人のことを歯車とかピース(一片)と表現する。会社だったり、ごく狭い友人関係だったり、まぁ誰しもどこかで、一生に一度は聞いているハズだ。というか耳にタコが出来るほど聞いているかもしれない。

 

まぁ僕はこの表現が好きなのだ。理由としては「生きている」ものを「無機質的」に表現しているということに尽きる。本来は対人関係や社会的なコミュニティなんてものは極めて流動的で「生きている」ものだ。もちろん、その中の個々も「生きている」わけで、大きいものなら社会情勢だったりに左右されてしまう。もっと言えば、「朝にガムを踏んだ」というしょうもない理由や、「占いが1位だった」とかその程度でもアッサリと変化してしまうようなレベルだ。まぁそんなものを無機質的に表現しているということが面白いし、好きなのだ。無機質的なモノとして見ることで、だいぶ捉えやすくなってくるし、不確定要素を排除することで理解がしやすくなる。いや、理解したくないことを「理解したように錯覚させる」と言ったほうが正しいかもしれない。

※面倒くさいし長くなるので、そもそも本質的に「理解」とは何なのかという話は置いておく。

うまく歯車が噛み合わない、あの人が僕らの最後のピースだった、とかそういう風に比喩として用いてしまえば、「ほーん、なるほどそうなのね」と聞いていて思考停止で納得も出来る。もちろん、「歯車」にしろ「ピース」にしろ、大抵の場合は流動的・有機的な人間を「無機質的」に表現するわけだから、「歪み」が生じているという前提がそこにはある。しかし、大抵の人はそこを理解しているのでこの表現はスンナリと成立する。うーん、ピースじゃなくて「歯車」に絞ろう。そのほうが分かりやすい。

 

大丈夫?話、噛み合ってる?

 

ここまで読んでもらって意味が分からない・ピンとこないのならば、きっと僕の表現と上手く噛み合ってないのだろう。「大丈夫?話、噛み合ってる?」って良く言うだろう、それだ。非常に便利な表現なのだ。 
今、この煽りじみたコメントを見て、ちょっとモヤッとした人はきっと僕と何らかのシンパシーがあるかもしれないのでそのまま我慢して読んで欲しい。


おそらく気付いたかもしれないが、この「歯車」とかいう表現は相手に使う際、無意識的に相手の状況をあまり鑑みずに「物質」として落とし込むような部分があるのだ。「貴方」と「ワタシ」が上手く噛み合わない理由は、きっといっぱい色んな要素がある。経験、価値観、その日の気分、テンション、言葉選び、人間性、性別、国籍、信教、本当に色んな理由や概念のもとに「噛み合わない」し、「嵌まらない」のだ。むしろジャストフィットなんてそうそうない。自分でさえも、自分自身とはきっと上手く合致しないのだ。物事には人生には不確定要素が多過ぎるからだ。

 

「誰とも真の意味では理解をし合えない」

 

そういった意味でやや諦めを受け入れて、執着を全て捨て去って行くときに「歯車」という表現が実に「気楽」なのだ。説明の排除も出来るし、「だから、仕方がない」と切り捨てていける。無機質的なものとして捉えることで、本来は尊重すべき向こうの意志や思想などを全て捨て去って、「理解」することへの労力を全て雲散霧消にして、アッサリと断念出来る。

僕という人間は「理解すること」は無理だけど、「理解するふり」は全力でやりたいという人間だ。なぜ「理解するふり」なんて言うかと言えば、そんなものは僕の都合解釈上で納得がいくことが「理解」でしかないのだから、「ふり」だ。僕はサトリでもなんでもなければ、別に聖人でもなんでもないから、「真の理解」をあっさりと捨てた。だから心理関係の道に行くことも諦めた。

 

「潤滑油」です!とは何なのか。


というわけで心理関係の道を諦めた。僕の中では私事でさえも「理解」が面倒くさいので、到底仕事には出来ない。ただ、金と時間を費やした以上、困らない程度には、それなり技法の序の口だけと、概念だけは少しだけ覚えてきた。

 

合コンの「さしすせそ」のように、ある程度の言葉のパターンと表情でそれなりに人間味は出せるはずだ。でもそれは「噛み合ってる」わけではないし、「嵌っている」わけでもない。しかし、そこそこ「回っている」ように見せかけることが出来る。それの表現は、学生諸君が就職活動で使う大好きなアレだ。そう、「潤滑油」だ。

 

 学生諸君のいう「潤滑油」の中身を聞けば「上手くコミュニティを回せます」「会話を繋げます」「コミュ力高いです!」というようなことだ。別にそれが悪いというわけではない、誰にでも嵌まる(ように見せれる)歯車は重要だし、アドが高い。

しかし、僕が話してきた中で、言っている・言ってないは別にして。そういう奴ほど、その「歯車」としての質はさほど高くはない。よく回るだけに、実にちっぽけでベッタベタな潤滑油まみれだ。

それどころか、「潤滑油」があまり意味のない場面もある。それは何か。実にシンプルなこと、向こうの歯車が硬すぎた場合だ。歯車が硬いとはどういうことか、それは人の「硬度」だ。ぶれない芯だ。そして、経験や権力から生まれた「強さ」だ。こんなものに合わせたところでガリガリ削られる。どれだけ潤滑油がヌルヌル出ていようが、いちいち噛み合わせていったところで、ある程度、自分自身に強度がなければガリガリ削られて、最後には割れて折れてダメになってしまう。そうなるともう駄目だ。

 

それでも目指すのか、そして言うのか。

「僕は潤滑油です!」と。

別段、コミュニケーション能力の高さは重要だけど、芯がないとダメなんじゃないかなと僕は思うし、昨今の潤滑油珍重社会には少し危機感も感じてる。何なんだ、この国ではオイルショックでも起きたのかと。

 

「潤滑油」がなくても「歯車」は回る。 

敢えて言いたいことは別に無理して 潤滑油まみれにならなくても良いということだ。向こうが噛み合わせてくれれば歯車は勝手に回るのだ。「昇進したい!」「気に入られたい!」というのもわかるし問題を起したくない、歯止めをかけたくないというのも大いに理解が出来る。しかし、ある程度の「潤滑油」があれば、コミュニケーションは回るし、「潤滑油」がなくても「歯車」は回るのだ。向こうが潤滑油を出してくれるというパターンもある。もっと酷いことを言えば、ごく限られた人の域まで達せば、自分自身の強い芯で無理矢理に相手の歯車の形を歪めてぶん回すことだって出来る。一旦、砕いて再成型させて「回る」ようにすることも出来る。というか、やってるやつがいる。大体、分かってきたと思う。そういうことだ。歪みのある「歯車」を歪んだ「歯車」がさらにぶん回しているのが社会だ。別に意識しようがしてまいが、そんな感じで回っているのがコミュニケーションだ。

 

完全な理解など無理だ、分からないことだらけだ。だからこそ、「無機質的」に捉えてしまったほうが気が楽になる。その中で、その過程で上手く噛み合わない時や、上手く噛み合わせたい場合には「向こうの事情」も少し考える。それだけで人生はだいぶ楽になる。その余力で自分の歯車の芯を固めていけばいいのだ。正直なところ、これは僕の人生の中で見つけた「解」であり、そして僕が「人」を無機質的なものとして捉える「歯車」という表現が好きな理由だ。でも心ないことはしたくないし、優しさはある程度は欲しい、あくまでも人間は「歯車」ではない。あくまで表現世界のことだから、「無機質的」に捉えたからと言って酷(非道)いことはしたくなはい。

 

そろそろタイトルの話に振り返って話す。

 

とんでもないこと言ってるなって?

じゃあ、僕と貴方の歯車は噛み合わないんでしょう。

 

これでいい。ある程度は傲慢でいい。それが許されるのならばそれでいいと僕は思うのだ。ここで、そろそろタイトルの話に振り返って話す。

 

WEBメディアのライターになって半年が経った。

 

ブレながら、失敗もしながら、前回の記事でも書いたように「師匠」と呼ぶべき人からの教えを真摯に受け止めながら、ひたすらに書いてきた。

bu-bu-karon.hatenablog.com

 

それなりに評価もされている・・・というか身に余るような評価をされていることもあって正直に困惑している。そんな僕が某WEBメディアで書き始めて最初に「こうしなきゃ」と思ったことがある。それは「一貫したキャラ性」を出すことだ。もちろん記事は伸びて欲しいし、万人受けすることは嬉しい。出来れば全国的にBuzzって評価もされたい。僕も平均よりかなり下回りはするが、微塵には功名心がある。

 

僕のコンセプトは実にシンプルだ。

・アホなライターを貫く(※でも、たまに真面目なことも書く)

・新規店より既存店に目を向けるにする。

・ありきたりなものは目を向けないようにする。

・「面白い」・「喜ばれる」の両立を目指す。

・ホームランは目指さない。犠打でいい。

 

これが僕のWEBメディアにおいて設定したキャラの芯だ。というか、これは僕の人生哲学でもあり生き方だ。だからこそ、僕の記事が嫌いな人もいると思う。それは別にあまり気にしないし、人それぞれだ。

 

僕の記事と貴方の歯車噛み合わないんでしょう。

 

くらいのスタンスだ。WEBメディアには匿名性がある。駆け出しのライターの僕は「生まれたての赤子」同然だ。今からなのだ。歯車が噛み合わないからといって、イチイチにブレたくないし、そんなものに振り回されて理想像から意図せぬところで掛け離れていくのも大いに困る。もちろんクオリティを高めていって、無理くりに「今、嵌っていない」人も噛み合わせてブン回していきたい。

 

 

というわけで「面白くないよね」と言う人が、少数派になるくらいまで、芯を太くし続けていきたいのだ。余計なことは考えたくはないし、ブレたくもない。ぶっちゃけて言えば、同業で色々いう人もいるんだけど、「だから何なのか」と。僕はそんなものに振り回されたくもないから、その人に歯車を合わせる気もないし、潤滑油も出したくないよと。だいぶ長くなった。

 

ということで、本日の曲はこちらです。

 9mm Parabellum Bullet / Heart-Shaped Gear

 

 

わかんねぇことだらけだけど、まぁとりあえずやっていこうよってね。