猫が死んだハナシ。
※6月1日に亡くなりました。文面的におかしくなる部分もありますが
敢えて修正せず、そのまま残させて頂きます。
どうも私です。
端的に言うと、まだ死んでいないのですがもう来るとこまで来てしまっている。
そんな実家で飼っている猫のハナシをする。いや、させて頂きたい。
いつ頃の話になるだろうか、ちょうど僕が中学校に入った頃の話だ。
その子はウチに来た。灰色にところどころ白が混じった男の子だった。捨て猫でもなければ買った猫でもない、知り合いのとこの猫の子どもだった。
「彼」の兄弟はどんどんと貰われていく中、「彼」には貰い手がいなかった。理由は彼の左目が見えなかったためだ。 おそらく子どものときに親から十分な処置を受けられなかったのだろう、彼の目には白い膜が残っていてそのせいで目がうまく見えなかったのだ。そのような幼少期を過ごしてきたからであろうか、彼は非常におとなしい猫だった。粗相をするわけでもなく、とても甘えん坊な子だった。人によく懐き、そして愛される猫で、とても賢かった。
また、僕の家には先住者がいた。メスの三毛猫だ。これは僕が小学校3年生の頃に飼い始めた猫で、こいつはとてもヤンチャだった。人に甘えるというよりは飄々とした猫で自由奔放なやつだった。当初、家庭内での猫ヒエラルキーやパワーバランスを警戒したが、しばらくする頃にはそのバランスはあっさりと崩れた。
悪く言えば、「彼」は「彼女」より人に媚びる猫だった、それゆえに家庭内でもとても愛されていた。そして月日が経つと彼はどんどん縦にも横にも大きくなった。
完全に家庭内でのパワーバランスが崩れ、先住者であった「彼女」はどんどんと隅に追いやられていった。僕は「彼女」のほうが好きだった。生まれて始めて飼った猫だったし、その飄々とした姿も、生意気な表情もとても好きだった。そして、なんだかんだメス猫たる所以か、母性なのか、「彼」の親のように彼の毛づくろいをしてあげている微笑ましい姿が好きだったのだ。
高校1年生の冬。彼女は死んだ。寒さのせいもあったのだろう。
その日の前の晩に普段の何倍にも騒いでいて、てっきりまた喧嘩しているものかと思っていた。朝、起きて餌を渡しにいこうとしたときには彼女は死んでいた。
普段から暖をとるために彼女たちは寄り添って寝ていた(と、いってもオス猫のほうが大きいので上に乗っかるような形になっていた)のだが、その日、「彼」は異様なほどに、まるで「死」を理解しているかのように距離をとっていた。
その日、僕は学校を休み、彼女を弔った。
とても辛かった。当時のガラケーで撮った写真を現像して写真立てに入れて飾った。
その一件があってから、「彼」は猫部屋(縁側)を嫌うようになった。
何か怖いものを感じたのだろうか、二度とその部屋で寝ることはなくなり、家の中で自由に過ごすようになった。僕はそこに何故か、「彼」の狡猾さを垣間見た気がして。
少し「彼」のことが嫌いになった。いや、少しではない、「かなり」嫌いになった。
それから10年近く過ぎた。「彼」も何度か大病を患ったが、それでも生きていた。
ちょうど去年の冬頃くらいからだろうか、それまで僕と「彼」は10年近く他人行儀な関係でギクシャクとしていたのだが、急に「彼」の方から懐いてきた。
僕もそれを無碍に出来る訳もなく、そこから実家に帰るたびに、これまでの月日を埋め合わせるように、穏やかな時間を過ごした。
「彼」は身体が人一倍、重たいのに寝ている僕の身体の上に乗ったりしてきた。そのまま僕の上で寝ることもあった。それくらいまでに僕と「彼」の仲は回復した。
僕は冗談めかして「なんだ死ぬ前みたいだな」と言ったこともあった。
あまり長生きするものだから、てっきり「彼女」の分まで生きているのかと。
そう言うと「彼」は必ず、耳を後ろに畳むような仕草をしていた。
彼はよく喋る猫であり、よく聞く猫だった。人の言葉を解していたのだろう。
そして先日、5月の始め。彼の容態は急変した。
元々、痛めていたのであろうか、老体故であろうか、彼は左足の根本を大きく腫らしていて、その足を引き摺るように歩かざるを得なくなっていた。
少しずつ、ご飯を食べる量が減り、少しずつ寝ている時間も増えた。
トイレに行くのも辛いようであった。可哀想だった。
ついにはご飯を食べなくなった。水を飲むだけになった。
目に見えて分かるほど、痩せて、声も細々しくなった。
水を飲むのも辛いから、僕らに水道まで連れて行くように頼むようになった。
周りに人が見えなくなると、か細い声で探して、呼ぶかのように訴えるようになった。
そして昨日くらいからついに外に出たがるようになった。
多分、もう「来るところまで来た」のだろう。
どんな最後を迎えるのかもわからないし、僕は死に目に間に合わないだろう。
今、実家には負のオーラが満ち溢れているし、彼がいなくなったら、あの家はとても寂しいものになってしまうだろう。とても悲しいことだから。
今更に考えれば、彼は去年の冬の時点で死期を察していたのかもしれない。
「最近、この子よく甘えるのよ、甘えが強いのよ」
最後の最後まで狡猾な猫だ。痩せた姿、その表情は頬が痩けて狐のようにさえ見えてくる。でも、それすらも今は少し寂しさを感じるし悲しい。
僕はおそらく「彼」の死に目に会えないだろう、昨晩、最後の別れを告げた。
どこまで伝わっているかは分からないが、賢い「彼」のことだ。きっと伝わっているに違いない。彼も僕が告げた後はどことなく理解したような表情に見えた。
僕の中でもう彼は死んだ。まだ死んでいないが、もうその「死」という運命は変わらないものだと理解してしまってるからこそ、もう言い切ろう。死んだのだ、と。
そう思っていなければ、僕も辛いし、悲しいのだ。
そう割り切らないと、僕も苦しいし、笑えないのだ。
一方的ではあるけれど、僕は別れを告げた。
「もう待っていなくていいからと、君の満足するまででいいからと」
「頑張れる所まで頑張ったのだから、それでいいのだ」って告げた。
そう割り切っているのに、そう決めたのに。
書けば書くほどに心が苦しいし、目に何かが滲む。
次、帰った時にはきっと君はいないのだろうけど。
そして僕の中ではもう死んだのだけれど。
それでも「彼女」のように。「彼」もまた心の中で生きるのだ。
これが僕の「猫が死んだハナシ。」なのである。
追記。
本日6/11 AM11:00頃。
永眠したとの訃報を受けた。訃報ともに送られてきた写真には死に顔が写っており、穏やかなものだった。安らかな顔で、まるで眠るように死んだのだろう。
しかし一ヶ月の闘病生活、食事も満足に取れず、耐えに耐えかねたその姿。
苦しかったろう、辛かったろう、とても痛々しい姿に成り果てていた。
顔だけはどこか穏やかだった。それは唯一の救いだ。
大変だったね。よくがんばったね、とてもがんばったね。
君と過ごした時間は18年くらいか、長かったはずなんだけどとても今では一瞬のようにも感じてしまう。でも多分にきっと僕たちの心の中にはずっと残り続けるものだろうから、安心して欲しい。ちょっぴり君がいなくなったことで、色々と大変なこともあるだろうし、寂しさや悲しさで家が暗くなるかもしれない。
でも、安心してほしい。きっと大丈夫だから。
大変なだったね。よくがんばったね。とてもがんばったね。
おやすみなさい。そして、ありがとう。