耳をすませばを見るたびに仄かな初恋を想い出すって話。
前回に引き続き、この話もフィクションです。
いや、前回も言ったけど書いてあるのは殆ど本当のこと。
ただ僕の中での記憶が曖昧で危うかったり、微妙に内容を変えて書いているので、あくまでもフィクションということで読んでいただければと思います。
ちなみに前回の記事はこちらです。
今回もタイトル詐欺です
「てめぇの初恋は何回あるんだよ!」
なーんて怒鳴られそうですが、ほら定義がね?
今回は僕が初めてお付き合い(?)をした話です。
小学校1年生の頃のお話です。
前回の子に出会うよりも前の話しだし、そもそもそんな子どもが「付き合う」ところで、少し周りよりも仲が良かったってレベルのことです。
前回の記事を書いたときに、はたと思い出したので忘れないうちに書いていきます。
「耳をすませば」って名作映画だよね
知らない人なんてそうそういないでしょう。
スタジオジブリの映画はどれも名作だし、認知度凄いですものね。
一応、wikipedia先生を下に貼っておきます。
まぁ、基本的には微笑ましい青春恋愛映画です。
映像美や内容も併せて、見たあとに心がジーンとする映画ですね。
聖司くんがストーカー?破局?知らんなぁ~?
ともあれ、僕がこの映画を知ったのは小学校1年生の時にある女の子と交わした交換日記がきっかけでした。
当時の私の思い出ぽろぽろ
そろそろぶん殴られそうなことを覚悟しながら、当時の記憶を掘り返していきます。
小学校1年生の僕は、ただの少し小賢しいクソガキでした。
学校の成績は勿論良かったし、今じゃクソほどに下手くそな「絵」も周囲のレベルの低さのおかげで県の美術コンクールで入賞するくらいにはセンスもありました。
(キリンの上に自分が載っているクソみたいな絵だったけどね)
脚もそこそこに早かったし、習っていた水泳のおかげで運動も出来ました。
そこそこに文武両道だったと思います。
そんな僕はクラスの中でも目立つ方でした。
顔立ちも昔は可愛げがあったので、そこそこにモテてたんだと思います。
そんな1年生の冬の始めのころでした。
当時、仲の良かった女の子グループ(カーストTOP)の子から、呼び出しを受けたのです。まぁ僕は少し期待していたのでしょう、ウキウキしてました。
小学校の頃とはいえ、クラスのカーストTOPのグループは可愛い子ばかりでしたからね、これは告白の一つあるだろうなくらいに思っていたんです。
指定された場所は靴箱のあった勝手口の前。ちょうど倉庫があって、その裏でした。そこは所謂、「体育館裏」くらいのもので僕の通っていた小学校の中では告白や喧嘩のメッカでした。
放課後。
僕がそこに行くと、カーストTOPの女の子であるYちゃん、そしてその傍らには普段はYちゃんとあまり仲良くしていないAちゃんが一緒にいました。
僕は咄嗟にこれを見て、罰ゲームか何かだなと思いました。
当時、僕らの学校ではローカルCMのネタで
「好きです、かすた◯ん」
という嘘告白のいたずらが流行っていたんです。
この悪習は何だかんだ小学校6年生くらいまで流行っていたし、僕らの±5歳くらいは皆やっていたクソのような罰ゲームでした。
今回の呼び出しは、Aちゃんに告白(かすたDON)させるイタズラか~と思ってました。「さて、どんなパターンでくるのか」と。はたまたどう返してやろうかと色々頭を悩ませました。
話しを切り出してきたのはYちゃんでした。
「Aちゃんから話しがあるって。」
なるほど、そう来たか。イタズラとすれば、これはもうAちゃんはやるしかない訳ですよ。Yちゃんは退路を塞いだわけですからね。
これはもう数分しないうちに
「好きです・・・・・(数秒後)かすたDON」が来るわけです。
しかし、待てど暮らせどなかなかAちゃんはそれを言いません。
もじもじとYちゃんの後ろで恥ずかしそうにしています。
その状況にYちゃんも心なしかイライラしているようでした。イライラしているのは勿論、僕もです。僕も早く帰ってゲームがしたいし、友達と遊びたいのですから。
「なんなのさ!早く言ってよ~」
少しおちゃらけた感じで僕は急かしてみました。
それでもAちゃんは「かすたDON」をやってきません。
しびれを切らしたのでしょうか。
言葉を発したのはYちゃんの方でした。
「あのね、Aちゃんがあんたと交換日記したいんだって」
交換日記?なんだって?
Aちゃんが恥ずかしそうに一冊のノートを渡してきました。
めくろうとすると、ようやくにAちゃんは声を発しました。
「帰ってから見て!」
喋れるんかい・・・と突っ込みたいのも山々でしたが、あまりの剣幕に少々気圧されてしまって「あ、ハイ」ってなってしまいました。
そして僕はそのノートをランドセルに放り込み、よく分からないままに結局のところ帰路につきました。
交換日記だなんてオトナだよね
家に帰ると、念願のゲームを始めました。交換日記のことはすっかり忘れてしまっていました。どんだけ僕はゲームがしたかったんでしょうかね。ようやく夕飯時になって父と母と家族団らんの時間になって定番の文句である「今日、学校どうだった?」と言われるまですっかり忘れていたのです。
「ああ、そういえばAちゃんから交換日記しようって言われた」
「Aちゃんって、〇〇さんのとこの?」
「うん」
「あんた、ませたことするわね・・・」
「そうなの?」
「いつもの日記みたいにずっされた字で書きなさんなよ(方言混じり)」
「うーん・・・わかった」
親は特にしつこく聞いてくることはありませんでした。根掘り葉掘り聞かれることはありませんでしたが、結構に気になってたんでしょうね。
僕が交換日記の返事を書くタイミングまで、なかなかリビングから移動しなくて厄介だったのを覚えています。
具体的には「ゲームを再開しよう」としたら、中断させられて「返事を書かなきゃだがね!」と叱られました。なんだか理不尽だなぁと思いました。
肝心の交換日記に内容ですが、よく覚えていません。
ただ「交換日記をしてくれてありがとう」とか「私の好きなものはどーのこーの」でした。内容的には当時、クラスのカースト上位の女の子がやっていた「プロ帳」となんら変わりがないものだった気がします。
※こんなやつ。みんなもやってたんじゃないか?
とりあえず僕も「よろしくお願いします」とか好きなものについて書きました。嫌いな食べ物のところには「やさい・くだもの」と書きました。これは今でも変わりません。
翌日、学校に行く通学路でYちゃんに話しかけられました。
「ねぇ!書いたの?持ってきた?交換日記!」
Yちゃんは本当に賑やかな子でした。ニヤニヤしながら聞いてきます。
僕にはそのニヤニヤの理由が良く分かっていませんでした。
というか、「交換日記をする」→「好意がある」ということすら理解してませんでした。これが後々、響いてきます。
僕は「持ってきたこと」「読んだこと」「書いたこと」その3つを淡々と言ってYちゃんを黙らせることに成功しました。そして、その日の昼休みにAちゃんに交換日記を渡そうとしました。
周りにワルガキどもがいる五月蝿い教室の中で。
また、Aちゃんに怒られました。
そして何処から出てきたのかよくわからないYちゃんにも怒られました。
「こういうのは、あんまり人のいないとこでわたすんだよ」
「じょーしきだよ!じょーしき!」
つくづく面倒くさいなと思いました。
それから、しばらくは放課後や朝の時間などにコソコソと交換日記を回す日々が続きました。内容も特になんてことはない「夜ご飯はなんだった」「習い事をしている」とかそんなプロフィール帳に書くような内容ばかりでした。
正直、僕は「面倒くさいな」と思っていました。
僕はある日、親に「面倒くさい」ということを相談しました。
親は色々と思う所があったのでしょうが、「いいじゃない、字の練習にもなるし、友だちを作るのは大切なことよ」と諭してきました。
それから2週間ほどでしょうか。
何度か交換する中で、僕の字はだんだん雑になってきました。
ある日、Aちゃんに「読めない」と言われました。
(この頃にはAちゃんもだいぶ普通に話してくれるようになってました。)
内心、「読めるように頑張れや」とも思いましたが・・・。
その夜、晩ごはんの「今日何があった?」トークでそのことを話した僕は母親に怒られました。父親は特に何も言わぬままでした。
よくわからないまま、その晩だけは、僕は普段の学校の日記帳の何倍か綺麗に書くようにしました。
ある日、親が言っていた「交換日記とはオトナねぇ」というセリフを思い出して、「大人って面倒くさいだな」と子どもながらに思っていました。
2月が最後になるんだってさ
一ヶ月くらい経った頃でしょうか、僕とAちゃんの交換日記はものの見事にバレました。さすがは小学校1年生、幼稚園に毛が生えた民度です。周りから「ひゅーひゅー」とからかわれはじめました。
Aちゃんが。
僕はそのワルガキと仲が良かったからか、はたまたカースト上位特権だったのか、さして弄られませんでした。むしろ、「どうなの?」と聞かれるくらいのもので僕も無碍にせず、淡々と返していました。
結果は見えています。カースト上位のYちゃんがそいつらに対してブチ切れたことで、あっさりと騒動は沈下しました。
やはり女は強いのです。
そんなある日、交換日記の中である映画とある歌の歌詞が書かれていました。
およそ、いつもの2倍近いページ数で書かれていました。
それが「耳をすませば」という映画と「カントリーロード」でした。
中にはAちゃんのレビューと「一緒に見たいね」とかいう内容が書いてありました。しかし映画だなんて当時の僕には退屈でした。クレヨンしんちゃんの映画でさえ、途中で寝落ちするくらいには映画が苦手でしたから。まして映画をみるための「映画館」という施設が「子どもだけじゃ行ってはいけない所」というイメージがあったので、それもあって僕は返事に困りました。
とりあえず「文面が浮かばないから待って」と翌日Aちゃんには伝えて、ようやくに3日くらいしてから親に「耳をすませば」って映画を見たいという話しをしました。
親は「あんたが見るの?」と驚いた顔をしていましたが、その後で父親がしれっとビデオ(VHS)をレンタルしてきてくれました。
そして見たのですが内容がチンプンカンプン。
子どもには難しすぎました。
「Aちゃんって大人だね」って親に言ったのを覚えています。
本当にそれくらい、よくわからない作品でした。
ただ見終わったあとに何とも言えない感情で泣きました。
そして、とにかく泣いたということと感想を一生懸命に交換日記に書いて、翌日にAちゃんに渡しました。
Aちゃんの返事は「見てくれて嬉しい!」ということがハートマーク付でご丁寧に書いてありました。そして、「私はあの歌が好きだ」ということと、おそらく最後になるから見に来て欲しい、といった内容で書かれたバレェの発表会のチケットが入っていました。
「なにが最後なんだろう?」と疑問に思いながら、親に返事の内容を話して、そのチケットを渡しました。「あら、行かないとだね」と親が言いました。
発表会の日は3週間後の、3月の最初の頃でした。
とりあえず、行くことをAちゃんに僕は伝えました。
(正直、面倒くさい反面、少し楽しみでもあった)
そして、そのやり取りがあって一週間も経たない頃。
Aちゃんが転校することをYちゃんから聞かされました。
寝耳に水でした。
そして、その日、Aちゃんからの交換日記にも同じことが書いてありました。
どうやらAちゃんは親の仕事の関係で2月の始めには転校してしまうようでした。
僕は少し寂しさを感じていました。
「こうかんにっき」の行方
そこからはあっという間でした。学校ではAちゃんのお別れ会が開かれることになりました。僕は周りのススメもあって、YちゃんとAちゃんのお別れ会を仕切ることになりました。Aちゃんは準備の関係もあったからでしょうか、学校に来る機会も少し減りました。交換日記も自然と止まってしまっていました。
小学校のお別れ会ではみんなでドッジボールをしたり、歌を一緒に歌ったりすることになっていました。いつもどおり、僕たちはドッジボールをすることに決めました。そして「歌」を決めるとき、「何を歌うか」が議題になりました。
「やっぱりカントリー・ロードじゃない?」
ああ、なるほど。好きだって言っていたものね。
僕も同意見でした。少し小学生が歌うには難しいんじゃないか?という先生の意見もありましたが、なんとか二人でこの意見を通しました。
さて、「みんなで歌う」ためには「みんなが歌えるようにする」ということが重要でした。僕たちの周りには「耳をすませば」を見ている子は少なかったのです。
幸いにもYちゃんがピアノを弾けたことで、何度か練習をすることが出来ました。
僕も家に帰っては、歌えるように歌詞を覚えるように、練習をしました。
ひとりぼっち。
恐れずに生きようと夢見てた。
寂しさ押し込めて、強い自分を守っていこう。
明日はいつもの僕さ
帰りたい、帰れない
さよなら、カントリーロード
いくら馬鹿な僕にだって考えてしまうことはありました。
ただ、今となっては。
もしかしたら交換日記の話しが出た時点で、
彼女はもしかしたら転校することが決まっていたんじゃないのか。
この歌や映画に彼女が何か「重ねていた」のではないか。
とか考えることも出来るのですが、当時の僕は未熟でした。
ただ、最後の「さよなら」のところを歌うとき、心が苦しくなってしまっていたことだけがはっきりと記憶に残っています。
そして迎えた、お別れ会。
この描写は省略します。
ただ僕は涙を流すのを必死に耐えて歌いきりました。
Aちゃんは泣いていました。Yちゃんも泣いていました。
みんなからプレゼントが手渡されていきます。
手紙や、折り紙や、よくわからないものとか。
この時、実は交換日記は僕の手元にあったのです。
ずっと交換日記を止めていたのは結局、僕でした。
Aちゃんは引越が決まったという話のあとに
ひとこと、「好きでした」という言葉を添えていたのです。
僕はそのせいで返せずにいました。
どう返せばいいか分からなかったし、親にも言えずじまいでした。
だから、僕は迷いに迷って。
「僕も好きです。向こうでもがんばってね、応援している。」
といったような内容を書いた交換日記を手渡しました。
数日後、僕は親に連れられて、
親に持たされた花束を持って、彼女のバレェの発表会に行きました。
演目は確か「くるみ割り人形」だったと思います。
終わった後に彼女に花束を渡しました。
Aちゃんは衣装のせいか、大人に見えました。
Aちゃんはとても綺麗でした。
そして清々しい表情で、どこかスッキリしていました。
女は強いのです。
そして彼女は転校していきました。
2月14日。僕が放課後に帰ってくると大きな箱が届いていました。
送り主はAちゃんでした。中にはとても大きなチョコレートで出来たクマが鎮座していました。どうやらバレンタインだったようですね。
先にも後にも、僕はこれほど大きなチョコレートをもらったことはありません。
中には手紙もありました。
もちろん読んだし、それを読んで泣いたことも覚えていますが、どんな内容が書いてあったのかはイマイチ覚えていません。
「楽しかった」「嬉しかった」というようなことばかり書いてあった気がします。
僕も一ヶ月後、お返しを送りました。
もちろん、その手紙の返事も添えて
ただ、一つだけ謝ったことがありました。
「気付けなくて、返事が遅くなって、ごめんね」
もっと僕が女心をわかっていれば、もっと彼女は楽しい毎日だったのかもしれないなと思うと少し悔しかったのが本心でした。
ちょうどその少し前に、僕はYちゃんに少し叱られていたのです。
実は僕が彼女の好意に気付いていないせいで、YちゃんにAちゃんは相談していたようでした。どうやら仲が深まっていれば何処かに遊びに行く計画もあったようです。
どうあれ、その手紙はカタチを変えた交換日記のような気分になりました。
そして月日が経ち。
いつのまにか、連絡も途絶えました。
中学校の時に部屋の片付けをしていて当時に貰った年賀状をみつけました。
「交換日記ありがとう」とそこにも書いてありました。
そして僕は何年ぶりかに彼女に年賀状を送ってみました。
(何でそんなことしたのかというと気まぐれなんですけどね。)
彼女はちゃんと覚えていてくれたし、交換日記も持っていてくれたようでした。
向こうでも楽しくやっていたようでした。
僕は勝手に「向こうで何かあったら・・・」とか考えていたので、ようやくに安心することが出来ました。敢えて、それだけでした。
今もずっと、そこから連絡は取っていません。
ただ、今でも「耳をすませば」を見ると思い出します。